今日は復活祭です。

自衛隊の基地のさくら

 教会でお祝いをしました。ミサの中で聖書が読まれますが、この人間の知恵では理解できない教義を何故自分が受け入れることが出来るのか不思議だなあと思いつつ、このことを最初に受け入れたのはいつだったのだろうかと考えたり、わたしよりはるかに頭人間の親分が何故このことを受け入れてクリスチャンになったのか不思議とひとのことを思ったりしていました。信じますという行為はこちらからのものではなく、天から与えられるものなので、分からなくて当たり前なのでしょうが、時々信じているのが私なのかもし踏み絵を踏まされるならどうするのかなどと考えたりします。信じていると思っても思えなくても、それは余り問題ではなくて、生きてきて姿が示すものだけが本当のことを告げるのだろうなと思います。だから信仰があるとかないとか、深いとか浅いとか全く私には関係のないことです。
 そんな余計なことは考えずに、キリストならばこのときどうなさるのかだけを追いかけて生きてゆきたいと思っています。今年は忙しかったので卵は30個しか作りませんでした。教会でご主人を亡くしたばかりの方に「お父さんに」と絵を描いた卵を差し上げたらとても喜んでいただきました。お世話になった方にそっと手渡して喜んでもらえたらそれは嬉しいことです。食べるためには砕かなければならず、残しては置けない卵の殻に一生懸命絵を描きながら、私に出来るささやかなことが嬉しいのです。