日曜日

シャルルドゴール空港だと判明

 荷物を運び込む。午後から教会で研修があるのでやれる時間を作って運び込む。神様も許してくださるでしょう。ここ暫く安息日が最も労働の重い日になってしまっている。少しずつ荷物が運び込まれて大分空き家が家らしくなってきた。この場所で又私たちの生活が始まる。今まで体験したことのない生活が始まる。そう思うとしっかりしなくてはと思うからおかしい。もっとゆったりと構えて楽しもうと思えばよいのに。恐らくこれがクライエントなら私はそう助言するだろう。「人生を楽しみなさい」
 親分は早速敷地の中にやってくる小鳥達を眺めて喜んでいる。こずえに来る小鳥、土の上をはねながら何かをついばんでいる小鳥。私は目が余りよくないから小鳥を見つけることができない。彼はどこにいても自分の好きなものを見つける能力にたけている。フランシスコのように自然の中に仲間を見つける能力なのだろうな。私にはない力だ。
 親分が台車で運び込んだ荷物を邪魔にならないところに移動するのが私の仕事。紙の入った箱が重くて腰が痛い。独りでは持ち上げられない箱もある。中を開いてみたら資料のファイルがびっしり入っていた。この中の資料の殆どは最早ただの紙くずになっているのだろうなと思う。これから徹底的に紙ごみを始末しよう。そうすればここを出る時はこんな腰の痛い思いはしなくてもすむ。プリントの山。手紙の山。ノートの山。もう何もいらないと思い切って捨ててしまったほうが良いかもしれない。自分の描いたものなど恐らく誰も必要とはしないのだろうから。