生きていていいの?

 何故私に問いかけるのだろうか。生きていいかどうかなんて冷静に考えれば答えの選択の余地の無い問いを、繰り返し発する人。あなたの求めているのは「生きていていい」と保障してくれる誰か。私はあなたの命の保証人にはなれない。いや共にこの同じ時間を共有している人間同士として、何の脈絡も、責任も無く「いいよ」と答え続けるべきなのかもしれない。
 しかし、その問いはそのまま私自身に向かっての問いかけでもあるのだ。「お前は生きている資格があるのか」「生きている価値があるのか」「果たすべき責任を果たしているのか」答えられない。だから今日一日を精一杯の思いで生きている。先のことは私の手の中に入りきれないから考えない。勿論世の中での行動予定は今年いっぱいもう書き込まれているが、それとは別の命の手帳があってそこに、本質的な意味で自分の生きた印が書き込まれる。書き手は私。そして読み手も自分のみ。自分が自分にとって一番の理解者でなければとても生きていられない。その大切な自分自身がやりきれないときがある。そんなときは静かに静かに扉を閉めて沈黙する。心が整うまで。その時間と場所を保障するのもまた自分自身。どんな悲惨な体験の中でも狂わずに生きていられるとすればこのシステムのお陰。言葉を泳ぐことをやめ言葉に漂う。穏やかに、ひっそりと。