ホーンテッド・マンションその後

 家に戻ってみたら昨日の業者から「オーナーが在京なので資料を送って検討してもらうが、もしかしたら現状のまま売りたい」とのこと。
 あのお化け屋敷を買ってメンテナンスする???
 買うって、いったいいくらで手放す気なのだろうか。
 もちろんこんなこと彼がいたらストレートに表現は出来ない。親分ならその気になりそう。何しろ168平米+ペントハウスに、いたく心そそられた様子なのだ。彼のおもちゃにいいかも。今まで家族のために働いたのだ。好き放題改造してもよい部屋があったら思う存分遊べるではないか。(いくらかかるか分からない今だからいえることだけど。)宮城沖地震を体験した建物だからそう高くはないだろう。そう思いつつもどぶにお金を捨てるような気分がする。
 だけど、あの人が心から自分の自由になるものを持ったことが今まであっただろうかとも思う。妻はこの通り誰の思い通りにもならない自由気ままな女だ。その7人の子供たちも推して知るべし。口数が多く勝手気ままな連中を束ね、群れを飢えさせず、迷わせず、雨露を凌がせ、世の荒波から守ってきたのだ。もう家の一軒や二軒(ムギハウスとホーンテッドマンション)好きにしたってよいではないか。などと思うのだ。(ワインのオンザロック故の妄想かも知れぬが)
 あるときから私は夫をもう一人の子供を見るような気持ちで見ている。その時点は、はっきりしている。もう死ぬと覚悟を決めたお母ちゃんが私に『彼を頼む』といったとき私は、彼女の分の役目も引き受けてしまったのだ。28歳で私は彼の母親も引き受けた。それ以来、私は彼のことを思うとき夫としての彼よりも、あの母が願った、息子としての彼の生き方を思ってきた。彼が死に掛けたとき、そして生涯貫いてきた仕事をこの一年でやめようと決意したとき、私はあの母ならなんと言い、いかに決断するだろうかと思った。
 自分の人生だ。好きなように生きてみるのもいい。心からそうしてみたらよいと思う。ただしその根底には家族のこともお忘れなく。それはあなたが人の子の親となることを決意し、自らの責任を生涯背負ってゆくと思い、命の基点に立ったときに背負った使命なのだ。それは何にもまして優先されねばならない使命だ。
 そのことをわきまえるならば好きに生きてみたらよい。私のことはお気遣い無く。私はあなたの旅に同行するタフさと、何にも支配されない自由な自分を持っている。私は私の意志であなたの同行者であり続けよう。夫婦というものは限りなく自由でかつ大きな関係だ。私はその旅に耐えることが出来ると思っている。最後の一瞬までも。