今日はグリーフワークの日

廊下に映る影

 心を込めて今何を支援したらよいか考える。お盆を過ぎてお参りの人が来て御接待をしたり、お寺に行ったり、それぞれがまた再びの痛みを感じている。心のそこに悲しみがあっても、三回忌が過ぎた頃からもう嘆くことが許されなくなる。『まだ悲しんでいては成仏できないよ』とか『亡くなった人が悲しむよ』といわれたらもはや嘆くことも悲しむことも許されなくなってしまう。
 本来グリーフワークは悲しみの整理で消滅ではない。悲しみの前の自分には戻れないのだということを受け入れて、その悲しみを潜り抜けたからこそのたくましさと愛情深さと人間の大きさを身につける作業であると私は思っている。
 悲しみは時間が来ればなくなったり整理がつくものではない。静かに静かにその悲しみを抱えて生きる自分に変わってゆく。自分の中に悲しみを抱えて新しい生き方が出来るようになる。
 グリーフワークは立ち直るためのものではない。新たに生きてゆくためのものである。だから癒されたり、元気を貰ったりではない。自分の力で自分を変えてゆく作業だ。回りの人間に出来ることはこの苦しみに満ちた作業を耐え抜く姿を見守り、倒れても『私があなたのそばにいる』と見捨てないこと。私が待っているからまた立ち上がって欲しいと願うこと。あなたは生きる力があると信じること。