もめたり、ないたり、笑ったり

姫の写真

とにかく朝早く出かけて行きました。荷物が半端でないので親分が運転して私が一緒について行って集会に出ている間に、親分が車を駐車場において合流。せっかく親分もホームまで入れるように入場券買ったのに、遅れてきた人に親分の入場券を取り上げてあげてしまった。ごめんなさい。保護者会にも来ない、打ち合わせにも来ない、今日も見送りに来ない、まったく見捨てられ状態の子が恨めしそうにじっと見つめているのに気がついて思わず『これはいかん』と思って親分を隠してしまった。いじめる子はこちらがどんなに気を使ってもいじめるのだが、ふと彼女のやりきれない寂しさを思ってしまった。標的になっている姫は無事自分らしさを堪能してくるだろうか。心からそう祈る。
 思えばこの子は素直に育ったものだ。神に感謝。こんな仕事をしていると時々、胸をえぐられるようなつらさを感じることがある。姫の人生は、ほかの子供たちは生涯味わうことのないであろう悲しみを生きてきたけれど、その悲しみが愛情に貫かれていたためか、心を損なわれることなく成長してくれた。これは感謝してもし尽くすことが出来ない。姫がこれからどんな人生を歩むのか私には分からないけれど、人の悲しみをとことん知っているから、他者を傷つけることは自ら望まないであろうことは分かる。生きにくい人生であろうが神の祝福の中を歩んで行くだろう。それは人間的な幸せとは関係のないことなのだが・・・・