マタイによる福音書

カスミソウ

 12:7もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。
 12:8人の子は安息日の主なのである。

 今朝、姫の成績表を見て「もっと勉強せにゃ」といった。姫はふっと曇った顔をした。こんなにがんばってきたのにまだいうかと思ったのだろうか。やってもやっても果てしもなく求められる「がんばろう。もっと勉強しなければ」と追われ続けることに疲れているのだろう・・
 私も、かつて受験生だった。いつも見えないものに追われて苦しかった。今日という大切な一日が受験という遠いものに向かって踏み潰されていくような恐怖感があった。今日この一日がいとおしくて涙が出た。あの日々を忘れたわけではないが、自分の進みたい道半ばで受験すらかなわず亡くなった息子を思うと、彼の分も生きてほしいと思ってしまうのだ。息子は息子、娘は娘。まったく違う人格なのに、無意識に娘の上になくなった息子を重ねていることに気がつく。



ごめんなさい。
姫は姫。
ギュダはギュダ。
それしかない。
それでいい。
わかってはいてもまた私は幻を見るのだろう。