雨・・・雷・・・雨

 今日の予報です。親分は最後の当直です。明日の午前中一杯まで戻れません。私は今日午前1ケース、午後1ケース。出来ればもう落穂ひろいの時期なのですが、姫の部屋が遅れていて「まあ初めて一部屋まるっきり」任せてしまったので、中々進まないようです。
 だけどコレばかりは自分でスキルを身に付けるしかないのです。私は未だにトラックが来ているのに荷造りが終わっていない夢を見ますもの。私も娘も転勤族の親に連れられて今日まで引越しを繰り返して生きてきました。娘も知らず知らず身についているものがあるようで、それなりにお役には立つのですが、今までは子供としての立場、今回の引越しは働き手としての参加。そこが中々切り替えられないようです。
 今の時期きちんと働き方を身に付けないと、大人になっても「足手まといの役立たず」になってしまい、しかも本人は役に立っていないことが分からないという悲惨なことになってしまう。だからこの時期働き方の基本を身体で覚えることが大事なのです。作業の全体の流れを最終目的から逆算して読めるようにならなければ、一人前とはいえないのです。この全体を見ながら現在の進捗状況を読み、何をなすべきかを判断するシステム的な考え方と働き方は、これから生きてゆくうえでとても大切なスキルです。だから娘にきちんと身に付けてもらいたい。なるべく手を貸さずに彼女が自力で乗り切って欲しいのですが、トラックは時間できてしまうし、何処から手伝い始めるか、手伝いの見切りが難しい。
 大将は親の引越しで、親分が仕事で抜けざるを得ない穴埋めを、小さいときから弟達と協力しながらやってきたし、蛙ちゃん、師匠はいつも赤ん坊を抱えた母親の補佐として働かざるを得なかった。娘達の引越しデビューは4年生位で、もうそこから男達に混じって過酷な労働に耐えてきたから、下手な大人よりずっと信頼できました。そのときは苦しくても、彼らが一人で何処に行っても安心できるのは、生きることの基礎をこういう体験を基に作り上げてきたからです。引越しは、我が家の教育の基本になっているのかもしれません。考えながら手順良くきちんと仕上げる。二度手間を掛けさせない。自分の受け持ったことには責任を持つ。そこには大人も子供も無い、対等の厳しさがありましたが、大人に混じってきちんと割り当てを果たしたとき、誇らしく自信が付いたようです。
 親分の職場は職責に空きを作ることが出来ないので、社宅も出る人の荷物が出きった直後に、次の人が入ると言う具合でタイムラグが無いのです。一度こっちの荷物を出しきらないうちに次の方の荷物が搬入されてしまい、大変な思いをしたことがあったし・・・
 今は単身者が多いから荷物も少なくて、出すも入るも楽だけれど、我が家は家族同伴で荷物が多いから、そうも行かないのです。入居のまま畳をはずしたり、壁を塗り替えたり、ふすまを張り替えたりするのもこういった事情です。つくづくこの大変さをよくも20回も繰り返してきたと思うけれど。いつか、この体験が役に立つと思って、今はここから学べるものをしっかりと身に付けようと思います。ノマドには叶わないにしても、いい線はいくと思う。わたしたち。