寒い朝

 さくさくと作業は進行しております。思いもかけないことが起こったり、いきなり担当区が増えたり、自分では来月からと心積もりしていたものが繰り上がりで来てしまったり、まあ色々計算通りに進まない引越しではありますが、何とか粛々(しくしくという感、無きにしも有らずですが)と形になってきております。
 作業をしていていつも思うことですがコレくらい、人間が見えてきてしまうものは無いなと思います。計画性や、完成度や価値観など、普段は真綿でくるんで薄ぼんやりと形や色を隠していたものがはっきりと見えてくる。自分自身でさえ思いもかけないこだわりにびっくりする。何を大切に思い何を守ろうとしているのか、識別が目に見える形で出てくるから、引越し作業はあからさまな作業だなあと思います。
 裸の自分を見せても良い相手、見られても自分が傷つかない相手に手伝い作業に立ち入ってもらえればそれは嬉しいけれど、生活や価値観をのぞかれたくないと思う相手には立ち入っていただきたくない。ここが難しいところ。だから身近な人の引越しは手伝いに行くにも、頼むにも、ここまでという線を引くか、ここまで終わったらの線を引くかしなければ、苦しくなるのだなあと思います。
 引越し産業が盛んになってきたのは生活の内部に立ちいられることに抵抗感がある人がお金を払い、全く関係の無い赤の他人にオシゴトとして委託できればあとくされが無く、気も楽だからでしょう。手伝いは必要、でも知っている人は嫌。近ければ近いほど手も出るが口も出る。
 その昔、社宅で奥様連隊と呼ばれながら引越し手伝いに歩きましたが、必ずと言ってよいほど「生活評論家」「趣味評論家」「オソウジチェッカー」などなどがおられて、作業後の数日間お茶に呼ばれるのが恐ろしく何かと用事を作っては社宅敷地内から逃げていたものでした。今はまず奥様同伴組みがいないのでその心配はなく、部下が上司の手伝いに入ることもなくなり、業者か本人家族のみとなり本当に楽になりました。たかが引越し、されど引越し。今日は一日引越し作業三昧。楽しくやろうと思います。