曲がり角

 この角を曲がれば、何が見えてくるのだろう。野の草の潔さを思う。たとえ明日は刈り取られて炎に投げ込まれるにしても、懸命に今を生きている。「明日刈られる麦」の言葉を思い出す。人間だけが明日を思い煩うことが出来る。わずらったからと言って命を延ばすことも。守ることも出来ないのにただ思い煩う。この曲がり角の向こうに何があるのかは曲がり角を曲がってから見れば良いのだ。たとえ気に病んだにしても何も出来はしないのだから。
 折角貰ったこの一年をしっかりと生きてみようと思う。思いもかけない隠し扉があっていきなり開いて風が吹き込んできた感じ。今しばしその風を身に受けて立ち尽くしていたい。