今日から定期試験

標識の上に鳩の群れ

 寒いけれど、何とか気を引き締めて出かけた。相変わらずおなかと頭が痛いまんま。まあこれは自律神経の作用だからなんとも致し方ないところもある。
 身体をゆっくり休めて、やりたいことをやり、行きたくないこと、会いたくない人、一切自分に逆らうことから一時身を離してみて、自分の身体に起きてくる変化を感じ取ってみるのが一番よい。不思議なことに全く自分に荷重がかからないのが良いといえないことに気付く。これは言葉で言ってみても理解されにくいが体験させると一発でわかる。ある程度の圧迫があって始めて自分が見えてくることもある。何もない無重力状態になるともっと本質的に自分が判らなくなり混乱する場合がある。それは寧ろ自分の足の置き場を失い、取り返しの付かないところに落ち込んでしまう危険がある。
 ある程度の重荷や痛みがあって始めて自分がどう行動したいのか何を求めているのかがわかる。乾かなければ水は求められず、痛まなければ傷を癒そうとは思わない。痛みや苦しみは寧ろそこから自分の本来のあるべき姿へ脱皮するきっかけとなる。だから思春期は苦しいのかもしれないな。修行が人間性に反するぎりぎりのところで行われるのもそのためなのだろう。あえて壁を持つことは人間として成長するためには必要なことなのだと思う。
 姫のこの日々の困難も彼女が人間として成長するきっかけになっているのだろう。つぶれないように絶望しないように見守る必要があるし、それが親の役割なのだと思う。親もまた共に人間としてのキャパシテイを広げる努力を求められる。無駄なものは一つもない。雨が何ももたらさずに天に帰ることがないように自分の人生に日々起こってくることは今日生きるために意味があり、必要なことなのだと思う。