家探し

友人が不動産屋に勤めている。こちらの条件を出して頼んでいたが先程電話で「車二台となるとマンションは難しいし、戸建は中々今手ごろな物件がない。転勤がわかって移動する時期が三月なのでそのころまで待ってみて」はいはい判りました。それで見つからなかったらどうするんだということで一戸建ては限りなく難しいことらしい。そして今ある空き物権は、新築は兎も角、それ以外の「親の家を貸したきがないということがその不気味さをあらわしている。人が暮らしていたことがいやなのではない。そんなことは最初から判りきったことだ。いやなのはあたかも前に暮らしていた家族の息遣いが残っているような家。普段は人のいない空き家に入ることなどないからわからないけれど、いざ借りようと思って入ってみると「それなりに」のものであることを数箇所回ってみて感じた。
 過ぎ去っていったものたちのことばかりではない。いざ貸しますという人本人の思いがかぶさってくる。ビジネスはビジネスと割り切れなければ貸家はおやめなさいと思った。思い入れが強いとその思い入れまで借りた人が引きずりそうで怖い。古い土地だけに色々あるのだろうが過ぎ去ってしまった時間まで引き受けようとは思わないから。なんとも貸し手優位の考え方が不愉快だ。借り手がお金を払いそれなりの負担をするのに礼金…なんだ、コレは。私も家を他人様に借りていただいているが、礼金をとらないことにしている。借りてくださるからこの関係が成り立つのだ。だから敷金は預かるけれど礼金なんて考えない。
 このあたりの貸家のオーナーはそうは考えないのだな。だからビジネスとして割り切れるところから家探しをした方が良いと思うようになった。もう一戸建てなんてやめて、車も一台は麦ハウスに置いて必要最低限の一台だけ考えたらいいのではないか。色々考え出すと今まで見えなかったものが見えてきて面白い。今までの転勤で社宅の心配は一切したことがなかったから、今回の「残った家族の住むところ探し」は私達にとって未知の体験なのだ。仕事をやめたらすむところがなければ困ると単純に考えてまずやめたときのために物価の安そうな盛岡に家を求めた。麦ハウスができてもういつ仕事をやめてすむところには困らないと思った。いつか仕事をやめたときと言うよりも、もっと若いうちに転職してと言う思いが強かったからとりあえず路頭に迷わないようにとの思いだった。何とか仕事をやめることなく此処まで来たが、娘の高校がネックになった。中々予定通りにことは進まないものよと思う。まあ今回のことも世の中のみんなが体験していることを、やっているだけで珍しがってびっくりしているこちらのほうが可笑しいのだろう。今月中に結論を出し来月中に私達家族の移動を終わって三月親分の荷造りと社宅のメンテナンスをして四月に送り出す。こんなにさくさく上手くいくと思うか?机上の空論ならお手の物だけど。ドツボニオチタラドンドコショ♪