今夜はそばではなく

 我が家は水餃子を作る。いつのころからかこうなった。ある年、子供たちにおそばと餃子とどちらが良いかと聞いたら圧倒的に「餃子」という答えが返ってきた。それ以来の年越し餃子である。
 もうひとつ、親が生きているときは隣県まで御節をお重に詰めて届けに行った。雪道を片道5時間近くかけてとんぼ返りはきつかった。親が亡くなったとき、もう一生分のおせち料理を作ってしまったような気がして作るのをやめた。
 それでも何もしないのも悲しくて子供たちのために、以前には御節の代わりに「万頭や中華ちまき」を作った時期もあった。が、これは時間がかかるので物凄くおいしいのだが取り止めした。自分で作った肉包万頭はこの世にこれ以上美味しいものは無いかもと思うくらいおいしい。きっとコネ加減も中の具も自分の好みそのままに造るからその人にとって一番美味しいものなのだろうな。その後はピザを焼いた。ピザ生地を練ってほぼ一日がかりで好みの具を焼く。子供たちはよくもまあこんなに入ると思うくらい食べた。色々なものを作って楽しんだ。ソーセージを作って焼きながらゆでながら食べたこともあったし、食べることそのものが楽しくてたまらなかった。

 子供が一人また一人と家を出てしまいもはや手巻きをしてもすしご飯が余るようになってしまった。競い合ってお互いにおいしいねえといいながら頂くからあんなにも楽しく美味しかったのだろう。
 今我が家に残っているのは餃子だけのような感じがする。これだけは最後まで残るものだろう。

 兎も角これから餃子の仕込みに入る。たっぷりの具を大き目の皮に包んで熱々をふうふう言いながら頂くと「ああ幸いだなあ」と思う。

 ついでにアプフェル・クッヒェンも焼いてみよう。素朴なドイツのケーキだ。サラダの代わりに「なます」を作る。ギュダ君の菊の花も入れようと思う。
 母の作ってくれた御節や私が母のために作った御節はまさに家族を喜ばせたくて作ったものだった。今家族の形が変わったから年越しの姿も変わって当たり前なのだろう。娘たちもまたそれぞれの家族のためにふさわしい年越しの用意をするのだろう。心配をする必要は無いのだきっと。



後ほど