修道生活47年

 一人の修道女が亡くなった。47年の修道生活を終えて天に帰っていかれた。教育に生涯をささげた人生は決して楽なものではなかっただろう。亡くなるまでの最後の三年間を外の人間として時折拝見することがあったが、人に向けられる優しいまなざしからは思いもつかない厳しいお顔でじっとご自分に対峙しておられたのであろうか。声をかけることさえためらわれるような厳しさだった。私が声をかければ瞬時に消えてなくなるその厳しさを敢えて壊したくなくて、そっと通り過ぎたことがあった。丈夫な身体をお持ちだったがゆえに、病気が進んでも死ぬことがなかなかできないがゆえに、まるで燃え尽きることを願ってそうしておられるのか、天候に関係なく歩き続けておられた。
 修道院からはるかに離れた場所でお見かけして、車でお連れしようかと思い同僚の姉妹にお尋ねしたところ「あの方は必要があってご自分で歩いておられるのだから、そっと見守ってあげてください」とおっしゃった。暑い日も風の吹くいてつく日も幾度となくゆっくりと歩かれる姿を見かけた。それは私には天への道を歩き続ける巡礼のように見えた。

 そしてやっとその旅は終わり、帰るべきところにまっすぐに帰って行かれたのだ。棺の中のなきがらはあまりにやせて私の見知らぬ方のようだった。遺影の彼女は私とよく言葉を分け合ったあの日の姿そのままで、三年の間私が巡礼を遠くから見守って祈りをともにしていたことはみなわかっておられるように感じた。47年。長い長いこの世を旅立ったなあと思った。