研修

 自死遺族の支援のためのサポートスタッフの研修を私が組んでいる。自分でゼロから資料を集め組み立て結果を分析して次の研修を組む。闇の中を命の力を頼りに足元を照らす光の示すままに進んでいるような気持ち。もしも神がこの道をよしとなさらないのであれば私は路に迷うだろう。神の示しのままに歩んでいればきっと闇から出ることが出来る。今私の道を支えているのはこの思いだけだ。
 「まず神の義を求めよ。そうすれば全てのものは与えられる」私の個人的な思いは求めない。自分を見てしまったら恐ろしくてこんなことは出来ない。
 願いは唯一つしかない。遺族が絶望から希望を持ったものに変えられてゆくこと。自分の人生を新たに生きるものとなること。憎しみを捨て、怒りを捨て、生きる事を諦めず、恨みに生きる事無く、再び自分の命を喜ぶことが出来るようになること。そのために、私達は何ができるか。なにをしてはいけないのか。人間のレベルでは足りない。大いなるものが介入しなければこの闇は深すぎて先が見えない。自分がではなくあくまで遺族自身がという視点を失わず、なお共にあるものとしてのありかたを訓練でどうにかするなんて・・・・無理だと思う。スタッフがこれは他人事ではなく、本質的に自分自身の生き方の問題だと気が付かなければ。お助けするなんてこと人間にはできないのだとわからなければ、共にあることはできない。
 全国的に見ればNPOで活動している組織はあるが、スタッフ養成のための具体的な資料は無いようだ。それぞれの関わり方が微妙に違うので一律に出来ないのかもしれないが、心理学的な立場の違いも微妙に感じる。若い学問だけにそれぞれの流儀のこだわりがある。いずれにしてもかぎりなくまなびつづけなければならないということかな。