仕事先で

 耳に飛び込んできたよ。クリスマスソングが。今まだ10月だよね。せかされているようで嫌な気持ちになった。勿論売り場は既にクリスマス用品が並べられている。
 誕生日のプレゼントを選びながら、クラフトショップを覗いた。フランフランで可愛い明かりを見つける。今年はどんな明かりを買おうかなとわくわくする。どうしてこんなに明かりが好きなのだろうか。裸火がすき。火遊びというのではないけど、じっと炎を見詰めているとその向こうに感じるものがある。そんな私を見て娘は魔女と呼ぶが、この時間があるから何とか自分を保っていられると思う。無心になって自分の心の奥深い闇に退く。座禅のような感じかもしれない。

 今日カウンセリングをしていて、人それぞれに薬に代わるこんな心を静める方法を持っているのではないかと思った。私にとってそれは祈りであり、音楽であり、文字を書く、絵を描くことであるのかもしれない。いや、もっと原始的なものだ。私は子供を流産したとき、ガス台を磨いた。そうじをした。何も考えず手を動かし続けた。
 外に向かって発信することではなく、自らの内面に向かって静まる。この習慣を生活の中に持っている人は、心を泡立てなくてもすむのかもしれない。心が静まらずあわ立ち、ざわめく事の辛さを訴える人の話を聴きながらふとそんな事を思った。この人が自分なりの鎮静作用を持つ行動を手に入れたらと思った。これは人に言われて出来ることではなく、自分で求めてめぐり合うものだから、教えてあげることは出来ない。