くりすます

 今年のクリスマスは何処で集まりますか?という話になってふと「このメンバーでは最後だね」といったら「毎年同じことを言っている」といわれた。しかし去年はスナフキンが結婚して家から離れて暮らしたし、今年は蛙ちゃんが結婚してポン太君と暮らしている。毎年家族の数は減っているのだが当事者は自分の気持ちの上での別離感情が無い。出てゆく人は別離の感情はもてないのだ。残されたものだけが開いてしまった穴を寂しいと感じる。これは致し方ないことだ。今年は親分がいるが恐らく来年のクリスマスに彼は家族と一緒にはいないだろう。家族は変化するものだ。だからこそ今がいとおしい。巣立ってゆく鳥は空の巣の感情を共有は出来ない。それは道理である。そこを分かれといっても無理なこと。一瞬ゲシュタルトの発想をしてみても感情は共有は出来ない。だからこそ人は巣立ってゆけるのだと思う。
 このごろ現象学を学んでいてよかったと思うことが多い。固定したものは何も無い。人間は一瞬の現象の中を進行形で生き続けている。変化し続けることで存在は認識され関係性が生まれてゆく。なんと自由でダイナミックな関係性だろうか。自分の心の移ろう姿を客観視できるのは現象学のお陰だと思う。現象哲学を本当にしっかりと学びたいと思う。