久し振りに午前中文字を書いた

久々に外からせかされないで自分のために文字を書いた。自分の心にあるものを糸をつむぐようにつむいでゆく。そして時間をかけてまとめてゆく。今はまだ書き始めたばかりなので、どんな糸につむげるのか分からない。それでも心からあふれてくる言葉に敏感になりたい。自分がいつかいなくなったあと、残されたものに手渡したいものは私が一番大切に思っているもの。心だ。
 毎日後数年でこの世を去ってゆくであろう方たちのケアをしていると、人はいつか必ず死んでしまうと言う当たり前のことが現実味を帯びて確実なこととして私に迫ってくる。死は決して遠いお話ではない。「あたかも今日一日しかないかのように生きなさい」と言ったのは、死の医学者として有名なキュブラー・ロス女史だ。人はこの日一日しかないと思って生きるときもっともその人らしい人生を生きることが出来る。それは残存生命時間とは関係ない濃厚な時間だと言う。
 漫然と昨日も今日も明日もただ流されて生きていくのは私には勿体無いことのように思える。生きたくて生きたくてそれでも死んでいった私の息子は私に何を託したのだろうか。その事を静かに考えている。君のやりたかった事を君に代わってやると約束した。君が生きたかったようにこの道を歩くからと約束した。いつも私は君を胸に抱えて歩んでいる。君の心は時々ひりひりするほど熱く燃える。今日も一日力いっぱい生きたと思うよ。漫然と生きることはしなかったつもり。
明日はNPOのカウンセリング担当。夜は今度の一泊研修の最終打ち合わせ。梅の実が4キロ届いているからその面倒も見なければならない。梅干しにしようか梅味噌にしようか迷っている。カリカリ梅は失敗してしまった。カリカリにはならなかった。薬品を使うのではないだろうかと思う。もしかしたらカルシュウムの錠剤を使っていたようなうっすらとした記憶があるのだけれど・・・