その人は15年前に亡くなりました

イマイチ体調不良で昼ごはんのあと少し横になった。電話で起こされた。
「もしもし。ちょっと確かめたいことがあって」
パグママだ
「はいなんでしょう」
「姉さんがくるって言うから、御飯三人分用意して待っているんだけど、まだ来ないのよ。あなた姉さんから何時って聞いたの?」
絶句・・・・・
「その人は15年前になくなったよ」
「えっ。だってくるっていってたのよ」
「誰からきいたの?電話だったのかな?」
「電話?・・・誰から聞いたのかしら。でも確かに泊まるって言ってた。じゃあ兄さんは?」
「7年前になくなったよ」
「あら。聞いてないよ」
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そして四方山話をして
「お客様が来るのよ。仙台の友達」
 はああ・・・・・
そうか。きっと寂しくてお客様が欲しかったのか、土曜日に本当にお客様が在ったからその余韻が有るのか、記憶が混乱しているのか。きっと来客は日常を乱すので暫く来客期待の混乱のより戻しが在るだろうがその内そのこと自体忘れてしまうだろう。

一瞬私はふしぎの国のアリスを思い出していた。認知障害の世界はアリスの世界に良く似た風景かもしれないな。まるで帽子屋と三月ウサギのお茶会のようだ。
姫が「お母さん。そうならないで」というが誰も好きでなるわけではない。コレばっかりは選ぶ事が出来ないのだ。だから皆ピンピンコロリが願いなのだ。しかしそうは問屋が卸すまい。私は散々皆をてこずらせて困らせて溜息と共に旅立ちそうな気がするよ。またきっと何度もママから「お食事用意したけれど、来ないのよ」と怒りの電話が来るだろう。そのたびに私は同じ事を繰り返し伝えるだろう。記憶が残らないから彼女にとってはじめて聞くことなのだ。だからその都度同じ事を返してあげようと思う。その人は亡くなりました・・・と。「あらそうなの?知らなかったの。亡くなったのよ」そして少しおしゃべりをして何のために電話をかけたか忘れてしまった頃電話を置こう。ママは「私変なのかもしれない」とつぶやいた。ママも自分の不確かさに気が付いて不安なのだ。この不安の積み重ねでやがて自分は「ぼけた」と分かるようになる。その時自尊心を失わせないようにケアすることがその後のQOLの質を決めてゆく。今が大切な分かれ目だと思う。