このところ

 この詩や歌が取り上げられることが多い。満氏の翻訳や曲が一人歩きをしている感があって少々・・・・・。私がこの詩と初めてであったのは随分前のことだった。その詩はフォークランド紛争の兵士が二度と戻ることのなかったふるさとの、自分のベッドの布団の下に遺書として挟んであって死後ご両親が発見して慰められたことや、阪神大震災の後お子さんを亡くされた親御さんが生きてゆく決意と共に読み上げたことや、9・11のとき遺族の少女が読んだことやいつも悲しみの中で亡くなった者と残されたものを繋ぐ一本の糸のようにそこにあった。いつも悲しむ側からこの詩は生きる決意と共に語られてきた。
 今悲しみの言葉は主体を離れヒットとしてどんどん商業化されてゆく。そして遺族たちが「如何にこの曲によって癒されたか」を画面で語る特集番組が流される。しかし、現実に私が出会う遺族たちは別のことを言う。遺族のグリーフケアの集まりで「この曲だけは流さないで欲しい。辛すぎて聞くことが出来ない」といわれた。
 今自分たちの心の傷とは別の響きでもてはやされすぎてむしろこの詩と自分との関わりをそっとしまいこみたくなっている。余りにも痛くて耐え難いこの響きを何でこんなにも軽々と流れすぎさせてゆくのか。こんなに軽々しく私の痛みを歌い流さないでくださいと思う。ひとくくりにしないで欲しい。悲しみのありようは個人的なことなのだ。それすら侵されることは耐え難い。
 難しいね。私たちは亡くなった息子の記念としてこの詩本を皆さんに贈った。ありがたいことにまだブームにはなっていなかったし満氏の本は選ばなかった。理由は純粋にこの詩だけが欲しかったからだ。満氏の言葉は私たちにとって邪魔だった。探して詩だけが製本されたものを贈った。今だったら恐らくその本であっても、使う気持ちにはならなかったと思う。私たち家族の気持ちを表現するには余りにも流布されすぎたから。
 この詩を書いた方は特定されていて、アメリカに住んでおられた女性であるそうな。彼女はナチスの時代にユダヤ人であるがゆえに母の死にも母国を尋ねる事が出来なかった友人の女性を慰めるためにこの詩を書いた。彼女は版権を取らなかった。人から人に個人的な悲しみの場所に、祈りと共にこの詩は個人的に届けられてきた。だからこそ悲しみの言葉、慰めの言葉となり得たのだと思う。
 世の中にはお金に換えてはいけないものがあると思う。有名な「フットプリントの詩」も、聖フランシスコと結び付けられて紹介されている「平和の祈り」もまた同じような運命をたどっているのはふしぎ。こんな形で神様は本当に必要な人に、必要な言葉を与えてくださるのだと思う。それぞれきちんとした作者が分かっているにもかかわらず多くは作者不詳の扱いを受けてきた。
 こんな切ない「かけがえのないものを失った」気持ちまでも今の世の中では当然のこととして商業ベースに乗ってブームになることに、私はいささかの抵抗を感じている。ましてマスメディアに乗せて遺族の感情を一方的に流すことに苛立ちを感じる。スイッチをOFFにするかONかを一瞬に判断し場面から身を避けなければ、襲ってくる嵐のような喪失感のより戻しから身を守れない。不意にお茶の間に喪失体験を流すことの引き起こすダメージに対してあまりにもメデイアは無神経だ。
 何事もなく生きている人々にとってはどんなに美しく共感を呼ぶ言葉であっても、愛するものを失った者にとってはとても危険だ。いきなり無防備なまま無意識の中に喪失体験が飛び込んでくると、自分の記憶と重なって打ちのめされてしまう。心をガードする暇がない。一撃で地に落とされてしまう。私は幾度もそのアフターケアをしてきた。
 やっと何とか日常を送れるようになった人がまた悲しみの中に落とされてどうにもならなくなって援助を求める。残酷だ。「TVは見ないで。何が流れてくるか分からないから点けないで」というのが精一杯の助言なのだ。この現実を知って欲しい。せめて喪失体験の番組であること、この歌が流れることをあらかじめ警告して欲しい。後追い自殺や二次事故を防ぐこともまた情報を流す側の責任だと思う。
 もう一つ感じたこと。言葉そのものも大量に流され聞きなれてくることに耐え難さを感じる。聞く者の必要に応じて言葉はすくい取るものであって垂れ流されるものではない。まして命に関わる言葉は。最早手垢がついて擦り切れてしまった言葉には共感できなくなってしまうのだと、改めて言葉の言霊たる所以を考える。
 万葉集の中に「亡くなった子供が無事に黄泉の国にたどり着けるだろうか。余りにも幼きがゆえに。ああまもらせたまえかし」という気持ちを詠んだ歌がある。この長い年月を経てあの歌は子供をなくした親たちの身のうちの言葉となったのだ。千の風もはやくブームが去ってまた知る人ぞ知るの言葉となり誰が引用しても著作権の関係のない自由な言葉となり一つの曲想に縛られない言葉そのものの紡ぎだす心のメロディを各人が持ち、イメージも写真や絵本に縛られることなく「私の言霊」となったとき原作者が版権を取らなかった本来の気持ちが生かされるだろう。寧ろ今は原詩を自分で自分の言葉に訳してひっそりと私の祈りの言葉としていきたいと感じている。原詩に表題はない.「私のお墓の前で」という最初のフレーズで呼ばれている。全くこころそのままの形を持った素朴な言の葉なのだと思う。