穏やかでありたいと願うこと

今日、思いもかけない人と研修の場でであった。かつて赦しがたいと思うことがあってもその相手に面と向き合ったとき、自分が覚悟をして相手を傷つけないようにこころを決めていることに気がついた。
相手が過去に私たちの家族の一人に「したこと、なすべき事を成さなかったこと」を記憶していると気がついたとき、私の中の怒りも、責める気持ちも相手に向けることはしなかった。無意識に相手の中に苦しんできたであろう時間を見てしまったからかもしれない。この人もまた苦しんできたのだと感じた。最早起きてしまったことは元には戻らない。ならば私には赦すと言う選択肢しかなかった。私が赦そうが赦すまいがこの人は生涯自分の責任を感じて生きてゆくのだろうと思った。生きることもまた償いの形であると感じた。穏やかでありたい。あの人の上に平和がありますように。