焼き魚

久し振りに法華を焼いた。焼き魚は部屋に匂いが残るので何となく敬遠してしまうが冷凍庫に入らなかったので解凍になってしまい、焼かないわけには行かなくなった。畑の大根をおろして添えたら何て優しい味だこと。油も使わず、食材だけの素朴な味。日本の昔の家庭の味ってこんなものだよねと思いつつ普段そんなに手の込んだものを作っても居ないのにさらにどんどん素朴な変化を遂げてゆく我が家の食卓を見ると、自分が育った家庭の食卓は再現は出来ないなと思う。母が実験室のように自分の料理教室で教える調理をあらかじめ練習で作っていたから和洋中取り混ぜてバラエテイに富んでいた。父が手の込まない食事が食べたいと言っていたことを思い出す。焼いただけの魚が食べたい。ゆでただけのおひたしが食べたいと。それは父のお袋の味だったのだろうが、母は「それは料理とは言わない。調理品だ」と取り合わなかった。脳梗塞になって私と暮らした頃、父は私の作る調理品を喜んでくれた。素朴料理はからだにはとても優しいようなきがするが、果たして子供たちに私の母のような豊かな料理を体験させてあげていないのは良いことなのか。単に手抜きをしているだけではないのかなどと思うのだが。
 レストランでコースを頼んだとき、母の作ってくれたもののほうがずっと美味しいと思う。彼女は本当に凄い料理を毎日作っていたな。その彼女が晩年味覚を失い嗅覚を失い、全く料理を作ることを楽しめなくなった姿は無残だった.あの頃、何故もっと受け止めてあげる事が出来なかったのだろうか。いたわることよりもそのやりきれなさを理解してあげることのほうが必要だっただろうに。症状の進行にばかり追われて、母がかかえていた心の痛みを理解してあげなかったなと思う。ごめんね。