明日は単位認定試験

今回くらい自分の時間がなかった事は無かった。あちこちと飛び歩いていて、今回は十分な時間を準備に取れていない。資料を読むことさえ飛び飛びで情けない。必要を強く感じて始めたことを片隅に押しやるような暮らし方をしてきた事が情けない。もっと自分の一日を大切にいつくしんで生きてきたかった。
 仕事があったとか、頼まれた事が目白押しだったとかいくらでも綺麗な言い訳は思いつく。それは何の意味ももたない。私が『にも拘らず』学ぼうとしなかっただけのこと。日々の積み重ねが出来ないのは意欲が無いからだ。持続する意志の力を一定レベルで保ち続けるのは一日の時間の積み重ねしかない。それと学ぶ事に対する緊張感。
 結局日々の雑事に押し流されたのだ。無念の思いがよぎる。投げ出すのは簡単だ。でも投げ出さないで踏みこたえようと思う。大人の女が学ぶ事は並大抵の事ではない。もし私の人生で子供たちに残せるものがあるとすれば、信仰と、母はいつも何があっても、ひとつの道を学び続けていたということだけだろう。
 私にとって心理学を学ぶ事、そしてそれによって心の発育不全で生き難いサポートする事は私自身が選んだ生き方だ。誰に押し付けられたのでもない。私自身の選択だ。幼い日に『こんな仕事がしたい』と願ったままに歩いてきた。
 子供を沢山生んだから、母の人生は子育てで一生終わってしまったと子供たちに思わせたくは無い。子供を産む事と、私がどんな人生を歩むかは別の問題だと思うから。
 何よりも受けた光は私と私の家族のためだけではない。かつて善き隣人として誰もが果たしてきた役割、この「孤独なこころの暗闇」をかすかな道灯りとしてともす一灯でもあるはずなのだ。その現実を正しく見据えて生きていたか。今年前半は社会との関わりは果たしてきたが、それを支えるはずの自分自身を耕す作業はおろそかになっていたと思う。自分を大切にしなければ力は蓄えられない。