弥生

mugisan2006-03-01

今日から三月。春うららのはずが今朝は雪。例の頭痛に元気の無い姫を車に乗っけてゆこうとしてワイパーのゴムが一部切れていることを思い出した。凍結しているのを無理に動かして壊してしまったのをそのままにしていた。この間の土砂降りの中で前方の視界が不安だったのはワイパーの水切れの悪さに一因ある。その時ゴムが切れていることに気が付いた。昨日一日有ったのに修理しておかなかった此方の落ち度。今日中に何とかする。急場はカセットテープのプラケースが有効。
 春なのになんでヘッダーがグレイかと言うと、今日は「灰の水曜日」で私たちが塵から生まれて塵に還る存在である事を思い起こす日。「メメントモリ」の日だからです。今日から4月16日の復活祭まで四旬節「レント』に入ります。(ラテン語でクァドラジェシマQuadragesima:40の意味)三月一杯を四旬節として過ごします。
 私は四旬節を苦しみと節制の期間として生活する事よりも、自分自身の生き方を振り返り悔いの残る事を修復し、祈りを通して生活そのものを見直す、自分自身の修練の時期として生活しようと思っています。慌しく過ぎてきた一年を振り返り、自分をしっかりと見つめる時期として特別の意味を持ってすごします。
 イエズスは荒野に退かれ40日間の断食と祈りの日々をすごされたと聖書に書かれていますが、私自身の荒野は日々の生活そのものの中にあり、普段は見ないように避けて、あわよくばなかったことにして居る諸々のことの中にあります。御伽噺の中に出てくる魔法の扉を私も持っていて、レントが始まる時ソット開くと、この一年間にこっそり仕舞いこんできた沢山の事が、びっしりと詰まっています。そこで私は思い切って手を突っ込んで一つ一つあるべき姿に正してゆきます。物に対する執着、人に対する執着を振りほどいて「土から来て土に帰る者」として改めて自分を整えることをします。形に表れることよりも,傍目には見えないけれど、確実に心の中に起こる変化を意識しつつ生活します。
 たった40日ですがこの時期がきちんと過ごせるかどうかでその後の生活が違ってくるように感じます。修道院の中で暮らす事とはまた違った厳しさがありますが、この道を選びここが私の旅路なので心を込めて歩きます。