暖かなことば

精神障害を抱えて悪戦苦闘していたY君が電話で「ギブアップ」と言う。「頑張れないから生活保護を申請したいが如何だろうか」と言う。かなり大量に薬を処方されているらしくことばもスムーズには出ない。
 何もかも自分で決めて実行してきた彼が自分で決められないはずが無いのだけれど、孤独にたまりかねたのだろう。生活保護と一口に言うけれど、受けるからにはかなりの規制の中で暮らさなければならない。住む場所も、かよう病院も決められる。今住んでいるお気に入りのマンションも出なければならないし、勿論僅かな所有物もチェックの対象になる。
 其れを嫌って彼は今まで数年間悪戦苦闘していた。もうこれ以上頑張れないというからにはよくよくの事なのだろう。
「今は生活保護を受けて力を蓄えて、徐々に薬を減らして、それから働き口を探して、もう一度働こうよ。君は能力も高いし、きちんと働けた時期も有ったのだし、今の状態では薬が強すぎて働くのは無理みたいだね」
「敗者復活を目指すか」
「このままでは自殺する元気も無い」
「折角貰った力を何にも活かさないで朽ち果てたくは無い」
こんな調子で40分くらい会話した。最早周りには愛想を付かされて、誰もきいてはくれなくなった呂律の回らない彼の意思表明を聞きながら,がけっぷちにたっているなと感じた。其処から落っこちてはいけない。こちら側に、命の岸辺に戻っておいでよ。
この様子ではまた夜と無く昼と無く電話がかかるかもしれないな。時々我が家の電話はこんな人々の命綱になる。
 ライフライン。此処には特別の「ことば」も、「解決策」も「具体的な援助」も無い。普通の人が普通の生活を普通にしているだけ。がけっぷちの人が「何が普通で何が異常か」方角が分からなくなった時しばししがみつく。やがて自分で方角を見極められたら手を離して自分の意思で生きてゆく場所。
 こんな活動をひとりで始めて30年近くになる。子供たちはそんな私と親分の創った家庭に生まれ育ってきた。何度かやめようと思った時、子供たちが「つづけたら」「ままんも、何かの役に立ってるんだよ」と言った。このことばは暖かく重かった。