姫は甘えベタ

彼女は甘えん坊だ。しかしストレートに言い過ぎるか、言えずに悶々とするか、両極端の態度に出てしまう。今朝は自分がのんびり朝ごはんを食べていて、間に合わなくなって「お母様、車だせる?」と来た。此処でもめると、コチラの気力がなえてしまうので、もっぱら自分の精神衛生上の問題として「飲んだ」。
 彼女はこんな形でしか私に甘えない。物をねだる事も、何かをして欲しがる事もない。時々SOSを出してみては私が応えてくれるかじっと見ている。人はこうやって自分と相手の関係を確かめる。だから何もかも自分で出来るはずだと切ってしまうと、愛情確認不安を抱えることがある。自分と相手の間の距離を保てなかったり、人間関係をゆとりを持って楽しめない偏りを持ってしまう事もある。
 人間の心は些細な事で壊れたり、回復したりするものだ。それを受け入れられず回復する事を信じられず、壊れっぱなしの自分だと思い込んでしまう。自己否定を体験する。しかし人間の心はタフだ。そのことは知識ではなく、自分自身がサバイバルして体験的に学ぶしかない。
 甘えもまたお互いにとって大切な意思表示だけれど上手くコントロールできず、依存になったり、しがみつきになったり、ストーキングになったりする事もある。些細な事の積み重ねが、あるとき引き返し不能になっていたりする。人間の心は脆く壊れやすいが、また修復能力も豊かに持っている。子供を育てていく事は心もまた育てていく事でもある。子供を育てていく事の困難さは、親が教育者として「関わりの観察者」だけではいられない事、渦中の人でありながら一歩下がって観察者の目線で見なければならない事だ。この二つの立場をしっかり手にしていれば子育てくらい面白い事はそうザラにはないと私は思う。私自身は決して子育ての才能が有るとは言えない。寧ろダメ親だと思う。物事が過ぎ去ってしまってから何時も自分がやるべきだった事に気が付く。そして歯噛みする。