思い悩む

このところ私の関わっている人々で求職中の方達が苦労なさっている。仕事はある。ゼロではない。しかし条件がかなり厳しい。1人で部屋を借り自立していこうとすると、それを支えうる仕事はないに等しい。契約社員であれば何とか見つかるのではないかと思うが、それすら働き続けられるという保証のない、一時しのぎの職場になっているらしい。3年を過ぎると一方的に職場条件が悪くなったり、勤務体制が変えられてしまったり、「同じ職種で勤務させる場合は正式雇用する」などという話はどこに行ったという事になっている。毎日の仕事が安定していればこそ、人生設計も出来るし、新しい人間関係も作れるし、家族も持てる。自分の老後も考えられる。それを全て与えないで置いて、国民年金を納めろと迫っても、自分の老後にさえたどり着けるか不安なのに、今日の暮らしさえ不安な人達に、連帯責任を押し付ける事には物理的に無理がある。
 小泉節が押し付けた「痛みを耐える」のは誰だったのか。このことを抜きにして彼らだけを責めるのはお門違いだ。気が付けば親の収入も確実に目減りしている。一体このジリ貧状態がまっとうなのか、それとも私たちが気が付かない形で崩れが起こり始めているのか。昨今のマネーゲームで世界の億万長者の6人に1人は日本人だそうだが、私たちのこの足場にともにあるはずの、明日を支える年代が脆くずれになっている事に、ナゼ気が付かないのだろうか。職を求めて、悪戦苦闘しているのは1人2人ではない。内在的な明日への不安が社会に何の影響も与えないはずがないではないか。自分の存在に誇りをもてない若者達を見るに付け、彼らを社会制度として此処まで落とし込んでおきながら、個人責任だと言ってのける為政者に怒りを覚える。