午前中は晴れました

 さあ洗濯をとおもっていたら、秋田のSちゃんから電話がありました。話せば長いことながら、等々・・・お洗濯はしそびれ、レポートを2本仕上げて午後4時から面接一本ありました。なかなか気持ちを開くまで儀式のある方なので時間が掛かります。それでもお別れのときはしっかりとハグして安心したようでした。生きることにもうまい下手があって、なかなか自分の人生を自分が主導で生きている感覚をもてない人は、くるしいようです。本当は、人間は大して変わりはなく同じ痛みを抱えているのですがね。彼女は思うことが、そのまま叶うような人生を味わった後の失意だけになかなかダメージから立ち直れないようです。
 人がみな幸せに見えるとき、本当はじぶんもまた幸せの中に生きていることに気付くことは困難です。気付きさすれば其処にいたわりの気持ちや、慰めのおもいが湧いてきます。外見だけで人の心の中を判断しなくなります。人をうらやまなくなれば、自分もまた与えうるものを持っていることに気がつきます。幸せであるか不幸せであるかは、余り違いがない世界に私たちは生きています。戦渦に生きる人たちのことを、貧困にあえぐ人たちのことを、悪政に虐げられている人たちを、病気で苦しむ人たちを、民族的風習で虐待を受けている人を、心の外にはじきだして生きています。同じ時代に、同じ星に生きているのに、わたしたちは幸運にもこの時代のこの国に生まれた。幸運にも住む所も、食べるものも、きるものにも満たされている。
 これは自分に向かっていっているのです。ならばお前はどうするのかと。昔、まだ高校卒業後の進路を決めかねていたとき,Sちゃんと私は、ジープでアフリカに行こうと話していた。何時かお金をためて、ふたりでアフリカに行こう。其処で自分たちの人生の仕事をしよう。彼女は今日電話で『アフリカに行こう。5年をめどにして、本気で行こうよ』といった。私も『自分たちの仕事をしに行こうね』とこたえた。北半球に生きる恵みを受けた私たちは、南半球に生きる人々に果たさなければならないものがある。若い日に目指した道がある。年齢を重ねて、少しはお役に立つ知恵も、力も身に付いただろう。自分の限界もよく思い知った。たった一度の人生だもの。自分の望みだけを追い求めて生きるのは勿体無い。こんな生き方もいいなと思う。あと5年しかない。言葉を覚えられるだろうか。マズそれだね。此処でめげそう。うううう・・・・