書院で

 桜の小枝を十字架に組んだものを見せてもらった。「どうやって暮らしているのかしら」と皆に不思議がられる其の方は、ポツリポツリと手作りのロザリオやマリア像の彫刻を頼まれれば何がしかの価格で作ってくらしているらしい。一応は彫刻家のお弟子さんという事になっているらしく、お年の程は分からない。素朴な其の十字架を手にとってみた。桜の小枝はもろくてすぐ風化してホロホロと崩れてしまうだろう。一体コレは何年持つのだろうかと思いつつ眺めてみた。丁寧に削って組み合わせてアナをあけ紐をとおしてあるだけの素朴な十字架。「買ってくれないかしら」の一言で3個引き取った。「値段のつけようもないから困っているの。100円ではいくらなんでもお気の毒だし。200円くらいかしら」というので3個1000円で買った。時々人のぬくもりが伝わってくる聖具に出会うとつい手に入れてしまう。誰かの祈りに支えられるような気がするからだろう。私が今使っているのはエチオピアの古い手彫りの十字架。皮の組みひもで頸にかけているが、ずしりと重い。鏨で彫って網目模様の彫金が施してある。かなり古いものとしか分からないが、遠くアフリカの大地の民の胸を飾ったものが東の国の私の胸の上にある。エチオピアは古くからのキリスト教国で独特の教義を持っている信仰深い国である。コプト十字架が有名だがコレは聖十字架の形をしている。時々経由も歴史も分からない由来の定かではないものが、そっと寄り添うように私の手元にやって来る事がある。この十字架がかつて誰の祈りを支えていたのか、不思議なものを感じる。単なるアクセサリーではない信仰のかたどりはそれを纏った人の祈りを感じさせてくれる。