豆本

 子供の頃豆本を見た。あの可愛らしさと、まるで手のひらの宝石のような美しさにはまった。親の友人の誰かがコレクターだったように思う。見せてもらいに連れて行かれてびっくりした。多分北見市のお医者様のおうちだったと思う。
 大人になって、親分が転勤するようになって、青森にいたとき町のどこかに豆本を置いてある店があった。塗物やさんの一角だったと思う。版画の本だった。芥川の作品だったような気もするが澄夫の版画だったと思う。遠い記憶の中でぼんやりとかすんでいる。私たちはまだ若くて30歳になったばかりで高価な豆本はとても手が届く代物ではなかった。蛙ちゃんをおんぶして大将の手を引いてスナフキンが幼稚園の間によく眺めに行った。
 何時かやってみたいことのひとつ、自分で豆本を作ってみたい。絵を描いて小さな物語を作って一つ一つ吟味して手のひらに乗る小さな本を自分だけの版元で作ってみたい。もちろん外には出さないから架空の版元で構わない。装丁も遊んでみたい。こんな夢をひとつずつ形に出来たら楽しかろうなあ。ターシャが人形造りにはまり人形の家族に人生を与え(人形家族もまた離婚している)生活用品全て手作りで子供達と楽しんだ気持ちが少しだけ感じ取れる。自分と重なりかつ自分の外にあり、自分の心を具象化してゆく対象だったのだろう。
ターシャの人形劇は有名な話。糸操りだが実に精巧なつくりになっている。子供達と劇団を作って公演もしている。あの人は何をやっても徹底してプロになってしまう。本当に凄い能力の持ち主であるし、何よりも意志の強さが半端ではない。修道会を創設した方たちに通じる強さだと思う。信念に従って、もしくは心の赴くところに従ってまず自分の足元の一歩から着実に始める。一歩が決していい加減ではないから揺るがない。確実に次の一歩に結びつく。私はココがどうにもあやふやだと自分で思う。成し遂げる人と、挫折する人の違いはこの一歩の違いだと思う。

 まあ何時の日かわからないけれど、私も自分の楽しみのために豆本創りを取ってある。和服の端布や古布など美しい絹物を溜め込んでいる。それだけで嬉しい。