姫高校見学

市内の高校を訪問して紹介記事を書き、来年の受験に備える企画だが、自分の希望の学校を見学できるわけではない。割り当てられたグループでじゃんけんか籤か何らかの方法で割り当ての学校を決めてそれぞれ訪問する。姫は某私立の付属高校に決まった。正直なところ名前も私は知らなかった。学費と転勤を考えると公立以外の高校は考える事が出来ない。公立から私立は転校の可能性があるが、私立から公立高校は不可能。しかし私立には私立の魅力がある。まして其処の学校は姫にとっては憧れの美術科があるという。大学でさえ公立しか学費は出せないので、もう見れば欲しくなるものはこの世になかったことにして近寄るなといいたいが、「こんな世界もあるんだと、見てらっしゃい。一期一会だからね」といったら「うううう。一気にやる気なくした」と出て行った。もしも君が一人っ子か二人っ子だったら可能性もあっただろうが、七匹の小ヤギだからね。仕方が無いと潔く諦めてクレイ。
ジョナサンが、私立大学に進学したとき一年間の授業料が公立大学の一人の4年分の授業料よりも高い事に愕然とした。世間知らずだったが、初めて恐怖を感じた。そして色々あって、彼はその大学を辞めてまた別の進路を求めた。高い代償を払ったけれど、自分で体験して初めて分かったのだろうが、ワンルームマンションを買えたかなという金額が消えた。まあお金では買えない体験を私も子供もしたたかに味わったのだからコレもまた意味のあったことかもしれない。
 というわけでやる気をなくした姫様は、覚めた眼で高校見学をしてくるのだろうな。私は基本的に「お金がないことは悪くはないな。物事の本質を見て生きるから」と思っている。お金があれば迷う事も、悩む事もない。何でも試して生きてゆける。しかし、お金がなければ、コレが本当に自分にとって大事な事かと考える。若い頃出会ったあるドクターの言葉が強烈に残っている「医者は金の事を考えているような人間には勤まらない。人間だけを見ていればそれでいい。こせこせした人間は医者にはならない方がいい」そうか、この人はそんな風に考えて子育てをして居るのか。私は、お金がないからお金から自由だけれど、この人はお金が有り余っているからお金から自由なのだ。その年その県の長者番付のトップに彼の名前があった。
 人間的には、おおらかで暖かくて心のやさしい人だが、根本的に持つものと持たざるもののあり方の違いが其処にある。有り余る中で彼は彼なりの清貧を生き、私は欠乏の中で清貧を生きる。子供を育てている中で、折に触れこの言葉が私の中に戻ってくる「こせこせした人間に育てたくない。お金に支配される人間には育てたくない。持っていても持っていなくても人間は豊かにいきられるはずだ」
 人間が一人生きていくうえで本当に必要なものはそんなには多くはない。持たなければ縛られることもない。本当の豊かさとは何かを残りの人生で確かめて見たいと思っている。サラリーマンで7人の子供を育て其々に教育もしてきた。それなりに生活を楽しんでも来た。残すものはないが、どんな締めくくりになるのか楽しみでもアル。