晴れているよ

乗馬クラブの馬です

 きのうのことがまだ何処か引っかかったままだ。人に「貴方少し変ですね」とは言えない。しかし相手の行動の中に常識を逸しているものを感じてしまう。感覚の問題ではなく行動の問題なのだけれど。精々「普通はそういう行動は選択しないと思いますが」とか一般化した言葉でそれとなく押してみるくらいが関の山。今後の成り行きを注意深く見てゆくしかないと報告する。
 気が重いのは、相手が追い詰められてソレしかないと思っている出口を、社会が受け入れる事は難しいだろうということだ。法規すれすれかすでに接触しているかギリギリのところで成り立っている家族関係の一箇所を軽く押しても、それだけで何が起こるかわからない。ふっと思うのだけれど、現代社会はこんな危うい人間関係がとても多くなっている。治療者として関わろうとすると、砂嵐の中で砂のお城を作ろうとする作業のように感じる。治療者には無力感と疲労感だけが残る。人間は元来もろく壊れやすい面と、タフな面と併せ持っている。そのバランスと関係性のあり方の未熟さが現代の家族の病理の一端を形作っているのではないのだろうか。
 依存性と衝動性とまるで一瞬先が読めない統合性のなさに振り回される。腹を立てず、消耗せず、いつも変わらない態度をとり続けることは苦しい。自分の限界を突きつけられる。
 精神科医の中でもはっきりと「私は治療できません」と断る方もいる。求められるエネルギーの大きさ、奪い取られるじかんの多さそして回復への道のりの長さ。はっきりいえば、あまりにも犠牲が大きいのだ。等といってみても救いには成らないなあ。