家族

 コレで3年目になるが、U学園の幼稚部のお母様たちにお話をしている。年に一回。子育てというより、いかに母として人間として自分を生かし、かつ子供を育ててゆくのかというお話。自分を育ててゆく事の出来ない人はこどもを育てる事も楽しめないような気がしている。今年いただいたテーマは家族。ココで私は家族はもろく壊れやすいものだ。家族はいつ欠けてゆくか家族自身わからないことの上に成り立っている事を、気付いてもらいたいと思う。子供も夫も自分さえ、あしたの命は保障されてはいない。この一日だけが確実なものなのだと、こころに刻んで生きてゆく事の積み重ねが人生なのだ。私はギュダ君の死を体験して、初めて真実の事としてわが心に刻み付けた。突然の旅立ちの後に我が胸をたたいて自らに問いかけたとき、彼を育てている期間、全人として関わってきた事が、私にとってただひとつの救いだった。「家族」このひと時の流れの中の共同体がいかに掛け替えのないものであったのかはそれが奪われ、取り去られて初めて確認される。しかしそれでは、遅いのだ。手の中に在るうちに、まだ欠けていないうちに、ありがたいひと時の至福のときを抱きしめて欲しい。子供達は、その中でその子本来のあるべき姿として成長してゆくだろう。などなど、思い浮かぶのだけれども、なんとしても飛び去った手の中の小鳥がいとおしい。「傷ついた癒し人」という本をナウウェンが著しているが、私の道もそこに繋がってゆくような気がしている。ミンミンゼミが鳴きだした。今日もまた暑くなるのだろう。相変わらず寝具の洗濯とそろそろ学校が始まるので制服やらなにやらのチェック。何しろ一ヶ月近くお目にかかっていませんから。