離婚

 友人が調停の現実を突きつけられている。友人の側に形として現れる原因はない。しかし子供達を巻き込み20年の結婚生活を断ち切り、一つの家庭を壊す必要性を、配偶者は感じたのだろう。何もなかったハズのこの年月の、心の方向性の違いが決意させたのだろうか。不貞も借金も飲酒もギャンブルも遊びもなかったし、あったにしても許容範囲だった。むしろ友人が配偶者のそれらを受け入れて生きてきたハズなのに。
 どちらが有責者なのかが今の段階では分からない。子供達が思春期なので一番親から学ぶべき大切な時間を別な形で別なものを学ぶ事になってしまう。出来る限り淡々と普通に暮らしながら、彼が行動を起こす事で如何に多くのものが彼の手から失われる事になるのかを気付いてもらうしかないと思う。家族は誰も離婚を望んではいない。
 この手の問題にぶつかるといつも思うことがある。もし、お互いが同じ言葉を持たず、同じ文化を持たない者同士だったらここまで気持ちがかみ合わなくなる前に、もっと調整を取ったのではないのだろうか。相手の言葉の含みを相手の気持ちで感じ取る努力をしたのではないか。同じ母語ゆえに、分かり合っていたはずのことが実は何も分かっていなかったから、通じ合っていなかったからこそこのことが起きたのではないのか。
 相手が何も気がつかないで一方的に恨みや怒りが蓄積して、あるとき最早堪えきれずに崩れ堕ちたとき、そのエネルギーを家族だけで受け止めるのはたいへんなことだ。
 誰が悪いのでもない。人間てこんな生き物だから、もっと毎日心を込めて生きていれば良かった。あまりにも安心しすぎて、のんびりと生きて来過ぎた。そう嘆く友人に「わが身に起こらなければ誰も気付かないで生きているよ」と伝えた。あってアタリマエの物なんか本当は一つもないん だよ。皆それを守るために懸命に努力しているんだもの。貴女もそうだったじゃないか。何処で二人の価値観がずれてきたのだろうね。そこまで戻りたいね。貴女が同意しなければ一方的に離婚させられてしまう事はないよ、そういって分かれた。