痛みに耐えただけ人は心が深みを増すのだろう。

 年齢に関係なく、人は人として育つものだと思う。末娘は13年の人生の中で祖父母の死を3回、この一年以内に兄の死と子守猫をなくした。彼女を見ていると人間に対する深い同情と共感を持っている事に驚く。幼い人が幼いなりに、この苦しみの中でおとなにも負けない思いやそれ以上に深く体験し感じ取った結果だろうと思う。昔まだ世界のあちこちに、幾世代が一緒に暮らす大家族制度が残っていた頃、家族は誕生も死別も家庭の中で家族に見守られて迎えた。その中でいのちの始まりと終りを納得していた。アン・オブ・ザ・グリーンゲイブルスの中にも「家は誕生と死で清められ、ホームになる」という言葉がある。私たちはその清らかな出来事を病院という他者に手渡してしまった。人々が浅はかになり、深く物事を考えなくなった原因の一つはこのことに関わっているのではないだろうか。娘の育つ姿を見ながらそう思うことがある。このことが彼女の幸いなのか不幸せなのかはこれから彼女がどんな人に育ってゆくのかを見つめてゆく中で分かってくるだろうけれど。