木の芽

ベランダの小さな鉢に水をやる。長い冬を寒風に晒されて弱い植物は枯れてしまっている。姫林檎、沈丁花、月桂樹、オリーブ、グレープフルーツ、ローズマリーは生き延びたらしい。バラも小さな葉を解いている。水を差しながら一冬耐え抜いた強靭さを見事だと思った。ベランダに出る事も、洗濯物を干す以外殆どしなかったし、水を与えると鉢の土が凍結してしまうのでそれもしなかった。タダじっと季節の巡ってゆくのを小さな鉢の中で待っていた。人間ならおそらく耐えられないだろうが、忍耐強いものだと思った。先の見通しがないところでじっと時が来る事を待てる。これは人間にはない特性だ。夜と霧の中で、フランクルは繰り返し『望み得ないときに希望する事』が命を支える力になるといっているが、これは並みの人間にはとても普段は持ち合わせない力だと思う。異常なことが身に降りかかってきて初めてその力が自分にもあることが分かる。小さな植物を見ながらそんな事を思う。私たちにとってここ数年の出来事は非常事態だったのだろう。この小さな植物のように私たちもそれぞれの時を堪えてきたのだろう。太陽が見えないときにこの闇の向こうには必ず光があると信じて待つ事が出来るためには、自分の中にある生きたいと願う力を感じ取る感性が必要だと思う。
 山の中でまだ深い雪に埋もれて、木々の芽はヒッソリと膨らむ。春の暖かさに誘われて芽を出すのではない。まだ厳しい冬のさなかにほんのりと薄紅色の木の芽が膨らんでやがてあたたかな風が吹く頃一斉に鮮やかに緑色の若葉を出す。芽吹きは、真冬に準備されている。人もまた試練の中に芽吹きの時があるのかもしれないと思う。