バスが遅れて

スナフキンを会社まで送ったが、道路が異様に混んでいる。アアそうか今日は年度末なんだ。しかもあちこちの道路には引越しのトラックが止まっている。幸いな事に今年は他人事で済むが来年の春はわが身かもしれない。それでも今年も子供の引越しを二つこなしたわけで、相変わらず毎年誰かの引越しをやっている事に変わりはない。生まれてから一体私は何度引越しをしたのだろうか。それだけたくさんの人や土地との出会いがあったわけで、私のものの考え方や、判断の基準はきっとこのことからおおきな影響を受けているのだろう。洋の東西を問わず人生は旅であるという考え方があるが、遊牧の民のような私の生き方は、流れに浮かぶ船のような感覚を心に持たせてくれた。
 土地の縁、人間関係の縁を持たない事はおおきな損失ではあるが、それが又自由人としての生き方を与えてくれているような気もする。壁にぶつかったとき、困難に出会ったとき「失うものは何もない、誰にも迷惑をかけない」と思う事はおおきな力になる。助けてくれる人も居ないが、迷惑をかける人もいない。このことが、生きることを大胆にさせた。笑われてもいい、いつかこの土地を去るのだから自分が正しいと思うことを貫こう、そう思って生きてきた。新しい土地に踏み込むとき『この町が私に求めているのは何だろう』と思う。街が私たちを受け入れてくれるか、私たちのための場所があるか、なぜなら例え2,3年であってもこの町で私は人生の時間を過ごすのだから、通りすがりの仮の宿りでは生きてゆけない。それなりに積み上げてゆくものを、自分で根気強く追い求め続ける。流れに浮かぶ船であっても大地に足を下ろした生き方は出来るのだと、子供達に伝えたい。