不思議だと思うこと

 子供は不思議生き物だ。親が知らないこと、親が出来ない事をいつの間にかちゃんと身に着けている。いつの間にこんな事が出来るようになっていたのだろうと思うことが、ある日 形になって目の前にぽんと置かれると、唖然としてしまう。ジョナサンの芝居はそうだった。この子は面白い表現力を持っているなあと思い,教師も親もそれくらいにしか思っていなかった。それが、いつの間にか、自分の戯曲を描き、自分で役者をやり演出をやり、あれよあれよという間に独自の世界を作り上げていった。
 これから彼がどんな形で自分の演劇を持続して行くのか皆目分からないが、彼は、自分の生きる道筋に芝居との関わりを保ち続けてゆくだろう。彼の芝居に共通しているのは生きることと静かに向き合うひたむきな眼だ。押し付けがましくはないけれど、見るものを自らのあり方に立ち返らせる力を持つ。きっと息の長い活動になるだろう。子供は不思議な生き物だ。そんな風になるなんて思いもしなかったし、そんな風に仕込んでも居ない。自分の意思でそのような道を選び取っていった。
 親に人間としての限界があるからこそ、こんな育ち方が出来るのだろう。とすれば、親である事は、もっとおおらかで、ゆったりとしたものであってもいいのではないのだろうか。親が道を備えなくとも神様は子供に道を備えてくださっているのだから。かつて私に備えてくださったように。