雪降りつむ

当地にしては珍しく雪が降り止まない。降って降ってあたりは白くなり続けている。こんな風景はあまりないからしみじみと眺めてしまう。雪の風景は沈黙の美しさだと思う。音が吸い込まれてゆく。
 幼い頃北海道で育った。ダイアモンドダストを体験した。今でもあの音のない張り詰めた風景を夢に見ることがある。空が一枚の絵になって、さえぎるものの何もない広がりを見せる。窓ガラスに見る見るに氷の華が咲いてゆく。ひっそりと誰も、見ているものはいない。美しいものがソット生まれて消えてゆく。心に沁みた。この世に生まれて生きることに希望も目的もない人たちと出会うとき、あの真冬の凍った空を思い出す。
人間もまたひっそりと生まれひっそりと死んでゆく。身近なものが生きているうちは生きていた事は記憶されるが、ゆかりの人が死んでしまったらもはやお墓しか残らない。お墓も三代過ぎてしまえば無縁仏になる。ささやかな人の一生である。私の息子は16年しか生きられなかった。人生100年の時代に。なんとささやかな命だったのだろう。人は、いずれ死んでゆくものだ。ナゼに命を自らもてあそぶのか。ほうっておいても失ってしまうものを、ナゼ自ら捨て去るのか。あの雪の結晶のように二つと同じものはない「わたくし」という存在をどうか大切にして欲しい。
 生きることに絶望してしまった人に今日も出会った。自分の子供のことは話さなかったけれど一つだけ伝えたかった事。『人を愛するという事は、相手の持っている棘を抜かないで、棘もろとも抱きしめる事。自分も傷つく。傷つくことも飲み込んで相手を抱きしめる。それが家族であり親であるのではないのか。私はそう思う。自分の命がここにあることで支えられる命があるならば、私の命の存在も無駄ではないのではないかと思う。命の捨て所を思うならば、真に捨てガイのあるときに、捨てガイのあるものに託して捨てるべきだと思う」