命あることを

何度も、自殺を試みて家族を不安の極地で振り回してきた青年を知っている。彼の心にあったものは、もはや死ぬ事でしか生きられない追い詰められた経済状態、命をとどめておくためには、自殺未遂を繰り返し家族に「しぬかとおもった。生きてさえいてくれれば』と思わせることで全てをチャラにしてしもらう生き方だった。繰り返される事態に、最初は手を差し伸べていた周りの人々もだんだん利用されていると思うようになった。しがみつかれるのはもう自分が耐えられないことに気がついたとき、初めて、彼が、自分の命を担保に、救援者を脅迫している構図に気がつく。そこで共倒れになるか、振り捨てるかを考える。
 正解はどれかは分からないが、彼に彼の足で自分の人生を歩いてもらう事を選んだ。しがみつく事で、自分で立つ力をひつようとはしなくなっている。先ず手を振り解いた。助けるものがいなくなって、しがみつく相手がいなくなって初めて、自分でどうしようかと考える事ができるようになる。そこが彼の新たないのちの始まりである。
 人格障害、引きこもり、各種依存症の人々と付き合ってきて、援助の難しさを思う。命は一つしかない。取引に使ってはいけないものだということを、どうやったらこれらの人々に伝えられるのだろうか。自分の命を自分がどう扱っても誰に文句を言われる筋合いではないといわれるたびに、甘えを感じる。自分の自由にできないから人は苦しみを抱えても生きてゆくのだ。自分だけのためではない。そこで出会う人々の、ヒューマンチェーンの最後のリングになるために。わたしがいなければこの鎖は完結しない。目に見える範囲のことだけではない。祈りを込めて、きょう一日を地道に淡々と生きる。これが最も尊い事ではないのか。マザーが行った。『一番身近な人を、先ず一人。そしてまた一人」彼女の生涯はこれのつながりでしかない。たてにも横にもつながってあの事業ができた。
 先ずこの場所から。先ずきょう一日から。先ず家族から、まずは私自身を抱きしめて。全てはここから。