疲れた

このところ深夜遅いのと、早朝の仕事で酷く体調が悪い。頚椎がつぶれているので、首、肩、肘関節が痛む。懐炉をペタンっと首に張っておくと痛みはだいぶ楽にはなる。原稿が進まないストレスで痛みが強いのだと思う。御飯の支度や、洗濯や掃除が格好の気分転換になる。私のような頚椎の症状は大して珍しいものではない。
 介護、看護など重労働を長年重ねた女性にはよく見られる症状である。本人は痛みが激しいのと、頚椎が変形してヘルニアになっていると聞かされて、びっくりして、ショックを受ける。ほとんどの女性が、自分の過ぎこしてきた日々を思い出して、こんな私に誰がしたのよ、と思うらしい。女の人生は身を削って、家族を支えているようなものだから。基本的には今も昔もあまり変わらない。子育ても、介護も目的語を入れ替えれば同じ文章で表現されてしまうではないか。女の労働は24時間眠らず、365日休まずである。
 私はだから仕方がないなどとはこれっぽちも思わない。自分の身を守れるなら、なんとしても守ったらいい。当たり前の事だ。でも、もしも自分が、逃げるか受けて立つかの選択を迫られたら、自分が女だからではなくヒトとして愛しているから,やってあげたいと思って重荷を引き受ける。その積み重ねがこの痛みだ。後悔はしない。ただ上手に凌いで、痛みと共存してゆきたい。マザーテレサにかつてあったことがある。彼女の足の指はサンダルの中で醜く変形している。あの足でぺたぺた歩いたらキット痛かろうに、彼女は素足にサンダルで何処へでも出かけていった。
 自分の身体に刻まれた人生の痛みを、愛しさをこめて抱きしめて受け入れるか、誰かを恨んで、加害者を作るか。どちらが正しいと言う事ではなく、それは自由に自分で選び取ってゆける事だと思う。自分の人生だもの。誰の選択でもない。いったん選んだからには自分の選びを全うすればよい。そうする事で一番気持ちが楽になるのは自分自身だもの。