抜けるような青い空だ

泉岳上空

 台風騒ぎがおわって、今朝は抜けるような青い空だ。洗濯日和。今日から夏服から、合服に制服が変わる。それでどさっと洗濯物が出る。この青空はありがたい。10時から中学校の役員会があるのでそれまでの時間を惜しむ。今朝は、姫様が校外学習で御弁当もちなので、いつもより早起きした。電気釜を使わないのでそのつど鉄釜で御飯を炊く。おにぎりだけでは悲しいというので、おかずも作って一時間。親分の御弁当はカロリー計算が必要なので時間がかかる。この頃はなんとなく目分量で分かる様になったが、定期的に献立とカロリーと栄養バランスを、記録しておかなければならい。面倒くさいとは思わない。コレがあるから手抜きをしないで居られると思っている。
 久し振りにトンポーローを昨夜作ったら,美味しかった。アニスを入れ忘れたから、亡母が食べたら「駄目」というだろうが、子供達にはないほうが食べやすいらしい。五香もそうだ。なじめないようだ。だから、我が家の中華は間が抜けている味だ.これが正しい味と母に仕込まれたものが、なし崩し的にくずれていって、一まとめにエスニックテーストになってしまいつつある。せっかく仕込んでくれた母には申し訳ないが。
 父が晩年食べたがったものがある。何も具の入らない真っ白な万頭。中国生活の長かった父の大好きな食べ物だった。私が,旧北満の味を調べて再現したら懐かしがって、自分で何とかマスターしようと一人で頑張ったらしい。父が亡くなった後台所を整理したら、中力粉が出てきて、泣けてしまった。88歳でカナダへ行き90歳でかの地でなくなった。親が役人だったから、朝鮮で生まれ、日本で育ち、大学を出ると、満州国の官吏となり、終戦で日本に帰り、東京都の再建に関わり、その後は人間はもういいといって、道路や、橋の設計や建設をしていた。国家公務員だったから、引越しの繰り返し。最後はモントリオールの妹のところで旅人として亡くなった。父の人生は、日本が近代化を急いだ歴史そのものにもみくちゃにされ、流された人生だったように思う。明治にうまれ、大正、昭和、平成と四つの時代を生きた。自由をこよなく愛した人で、厳しい人だった。亡くなったといっても、私は父に会っていないので、実感がない。いってらっしゃいも、さようならも言ってないので、私にとって父の死は、まだエンドマークが付かない手紙のようである。
 友人から電話で、ギュダ君に良く似た猫のぬいぐるみがあるからもって行くとの話。未だに彼の事を偲んでくれるひとが、尋ねてくれる。あの子が結んだ絆はほどけない。役員会で彼の同窓生のママと一緒になる。高校生が修学旅行からきのう帰ってきたと言って、ゴメンという顔をした。気を使われていると思う。セツネエナ・・・
明日は授業参観と懇談会。二学期制になったから、9〜18まで秋休みになるらしい。登校日があったり、振り休があって出たり休んだり複雑。親分は仕事がメチャコミで帰ってくるのが大変状態。今月は中旬まで母子家庭かも。
 今日は夕方から冷え込んできて、トマトたっぷりのポットローストにした。これからの季節はスープ物が恋しくなる。いろんな国にお国自慢のスープがあって、毎日作るのも楽しい。子供達がだいすきなのは、ロシア料理の、キノコのポット。キノコのグラタンにパン生地をかぶせてオーブンで焼く。御なじみのものだが、家庭で食べるのは一味違う。コトコト時間をかけて、バターとコンソメでダイコンとカタマリベーコンを煮込んだスイスのスープは、おかあさんの味らしい。スイス人の神父様から習った。昔はストーブの上でおなべまかせで、長時間煮込んでつくったのだろう。薪で仕上げる優しい炎の味なのだろうな。
 プリンスエドワード島の写真集を本棚で見つけた。眺めているとふわっと気持ちが軽くなる。腰をすえて読む時間がないときは、絵本や写真集や、図鑑がいい。気持ちだけでもトリップできる。一冊見終わると、さて、と言う気持ちになれる。重さを引きずらないですむ。
 本の類は引越しの時に運送屋の倉庫を借りて箱のままあずけっぱなしにしてあるから、今手元にあるのは、その後4月から増えた分と、どうしても預ける事が出来なかった本だけ。それでもスチール本棚が一つ埋まってしまう。活字中毒なんだな。家族全員が。引越しの時は「賽の河原はわからねど、げに本の河原の此処に在るなり」状態になる。職場でも有名らしく転勤先にすでに御触れが回っていたりする。『あそこの荷物は、半端じゃない』。私達の親の代からの習性は確実に子孫に引き継がれたらしく、子供達のマンションも本が雪崩を起こしている。
 ブックオフに本を置きに行って、その倍も持って帰ってくる。アホだ。
信じられないことが起きた。きのうの夜中から今朝に掛けて、居住区の駐車場に止めてあった車の後輪からタイヤが二本抜き取られたってさ。目の前というか、見下ろせる場所で、明かりもついているのに。夜中にやってきて静かに持って行ったのだろうが、各ポストに緊急通達が配布されていた。ご注意くださいって言われてもなーと思った。以前ボンネットから、エンブレムをもぎ取るのが流行ったけれど、タイヤではポケットに入れてというわけにも行くまいに。


 台風騒ぎがおわって、今朝は抜けるような青い空だ。洗濯日和。今日から夏服から、合服に制服が変わる。それでどさっと洗濯物が出る。この青空はありがたい。10時から中学校の役員会があるのでそれまでの時間を惜しむ。今朝は、姫様が校外学習で御弁当もちなので、いつもより早起きした。電気釜を使わないのでそのつど鉄釜で御飯を炊く。おにぎりだけでは悲しいというので、おかずも作って一時間。親分の御弁当はカロリー計算が必要なので時間がかかる。この頃はなんとなく目分量で分かる様になったが、定期的に献立とカロリーと栄養バランスを、記録しておかなければならい。面倒くさいとは思わない。コレがあるから手抜きをしないで居られると思っている。
 久し振りにトンポーローを昨夜作ったら,美味しかった。アニスを入れ忘れたから、亡母が食べたら「駄目」というだろうが、子供達にはないほうが食べやすいらしい。五香もそうだ。なじめないようだ。だから、我が家の中華は間が抜けている味だ.これが正しい味と母に仕込まれたものが、なし崩し的にくずれていって、一まとめにエスニックテーストになってしまいつつある。せっかく仕込んでくれた母には申し訳ないが。
 父が晩年食べたがったものがある。何も具の入らない真っ白な万頭。中国生活の長かった父の大好きな食べ物だった。私が,旧北満の味を調べて再現したら懐かしがって、自分で何とかマスターしようと一人で頑張ったらしい。父が亡くなった後台所を整理したら、中力粉が出てきて、泣けてしまった。88歳でカナダへ行き90歳でかの地でなくなった。親が役人だったから、朝鮮で生まれ、日本で育ち、大学を出ると、満州国の官吏となり、終戦で日本に帰り、東京都の再建に関わり、その後は人間はもういいといって、道路や、橋の設計や建設をしていた。国家公務員だったから、引越しの繰り返し。最後はモントリオールの妹のところで旅人として亡くなった。父の人生は、日本が近代化を急いだ歴史そのものにもみくちゃにされ、流された人生だったように思う。明治にうまれ、大正、昭和、平成と四つの時代を生きた。自由をこよなく愛した人で、厳しい人だった。亡くなったといっても、私は父に会っていないので、実感がない。いってらっしゃいも、さようならも言ってないので、私にとって父の死は、まだエンドマークが付かない手紙のようである。
 友人から電話で、ギュダ君に良く似た猫のぬいぐるみがあるからもって行くとの話。未だに彼の事を偲んでくれるひとが、尋ねてくれる。あの子が結んだ絆はほどけない。役員会で彼の同窓生のママと一緒になる。高校生が修学旅行からきのう帰ってきたと言って、ゴメンという顔をした。気を使われていると思う。セツネエナ・・・
明日は授業参観と懇談会。二学期制になったから、9〜18まで秋休みになるらしい。登校日があったり、振り休があって出たり休んだり複雑。親分は仕事がメチャコミで帰ってくるのが大変状態。今月は中旬まで母子家庭かも。
 今日は夕方から冷え込んできて、トマトたっぷりのポットローストにした。これからの季節はスープ物が恋しくなる。いろんな国にお国自慢のスープがあって、毎日作るのも楽しい。子供達がだいすきなのは、ロシア料理の、キノコのポット。キノコのグラタンにパン生地をかぶせてオーブンで焼く。御なじみのものだが、家庭で食べるのは一味違う。コトコト時間をかけて、バターとコンソメでダイコンとカタマリベーコンを煮込んだスイスのスープは、おかあさんの味らしい。スイス人の神父様から習った。昔はストーブの上でおなべまかせで、長時間煮込んでつくったのだろう。薪で仕上げる優しい炎の味なのだろうな。
 プリンスエドワード島の写真集を本棚で見つけた。眺めているとふわっと気持ちが軽くなる。腰をすえて読む時間がないときは、絵本や写真集や、図鑑がいい。気持ちだけでもトリップできる。一冊見終わると、さて、と言う気持ちになれる。重さを引きずらないですむ。
 本の類は引越しの時に運送屋の倉庫を借りて箱のままあずけっぱなしにしてあるから、今手元にあるのは、その後4月から増えた分と、どうしても預ける事が出来なかった本だけ。それでもスチール本棚が一つ埋まってしまう。活字中毒なんだな。家族全員が。引越しの時は「賽の河原はわからねど、げに本の河原の此処に在るなり」状態になる。職場でも有名らしく転勤先にすでに御触れが回っていたりする。『あそこの荷物は、半端じゃない』。私達の親の代からの習性は確実に子孫に引き継がれたらしく、子供達のマンションも本が雪崩を起こしている。
 ブックオフに本を置きに行って、その倍も持って帰ってくる。アホだ。
信じられないことが起きた。きのうの夜中から今朝に掛けて、居住区の駐車場に止めてあった車の後輪からタイヤが二本抜き取られたってさ。目の前というか、見下ろせる場所で、明かりもついているのに。夜中にやってきて静かに持って行ったのだろうが、各ポストに緊急通達が配布されていた。ご注意くださいって言われてもなーと思った。以前ボンネットから、エンブレムをもぎ取るのが流行ったけれど、タイヤではポケットに入れてというわけにも行くまいに。