あの日から

ビルの間を光が跳ぶ

 あの日、私たちは福島に住んでいた。ラジオの6時のニュースで地震のことを知った。神戸の東灘区に住んでいる兄家族のことが気になってすぐ電話したがもう通じなかった。16日が給料日だった。まだ現金手渡しだったので一か月分のお給料が手元にあった。大将に高校を午前中休んででもらってホームセンターに駆け込んだ。給料全額で、買えるだけのコンロ・ボンベ・無水シャンプー・生理用品・水・オレンジジュース・レトルト食品・登山用携行食品・簡易カイロ・下着・ティッシュ・紙食器・無水の食器洗浄剤・・・思いつく限りの物を箱に詰めた。そしてそのまま中央郵便局に行って神戸の兄宛に送った。郵便局で取り扱った被災地向けの第一号の救援物資だった。私一人では荷物を運べないからと学校を休んでくれた大将の優しさがうれしかった。
 それから私たちの救援が始まった。子供たちはお年玉を全額出して携帯ラジオを10個買って山のように電池をつけて被災を免れた大阪の修道院の友人のシスターあてに送り、背中に担いで神戸まで運んでもらった。もはや荷物はその時は郵便も宅配便も届かなくなっていた。
 それから思いつく限りのことをした。義援金も集めた。誰に、今お金が必要かは現場の人が一番分かっているから、荷物を運んでくれているシスターに託した。(そのお金は緊急手術が必要な子供の医療費に使われたと一年後ラジオの報道番組の中で偶然聞いた)市内の薬局を回って試供品の紙おむつを集めたり、ボランテイグループに頼んで高カロリーのクッキーを焼いてもらったり、医大のドクターに頼んで薬局の中で融通のできる湿布や薬の提供を受けた。24時間流されるラジオの情報を子供たちが交代しながら聞き取って、今日の何時からどこでお風呂には入れるか、どこでどんな配給があるかを一覧表にして、避難所の友人にFAXで送って、張り出してもらった。それから4年ほど必要なものを送り続けた。
 あのときはその直前に奥尻地震があって我が家の一部屋に救援物資が山のように積み上げてあって箱詰めしては送っている状況だったので、それに重ねて神戸に送る物資が集まってきて居住空間が物で埋め尽くされつつあった。しかも18日、転勤の内示が下りた。引越しどころではない状況の中で三箇所に送る荷物を作った。スナフキンは大学生、大将と蛙ちゃんは高校生、師匠は中学生、ジョナサンとギュダ君は小学生。姫は赤ちゃんだった。
 大学生のスナフキンは家を離れていたので知らないが、家にいた6人の子は私と一緒になって遠隔地からの救援の仕方を身をもって体験していった。得がたい体験だったと思う。はるか離れた土地にいて、それでも私たちは神戸や奥尻の人たちとつながっていたと思う。

 どこにいても、どんな生活条件であっても何かをしたいと思えば方法も手段も見つかるということをいいたくてこれを書いているのです。自分がこんな風にやったといいたいのではなく、それぞれのやり方で誰かの必要を満たすことはできるといいたいのです。そしてそのことによって、私自身も、私の子供たちも成長させてもらったことがありがたいのです。
 立場の違う人々から非難されたり、攻撃されたりいろいろありましたが、それでも私たちはあの時「見て見ぬ振り」はできなかったのです。困難があっても、見知らぬ人であっても、あたかも家族に対するように、今何がその人たちに必要かと、真剣に考えて行動していったことは子供たちが「人間として生きてゆく」ための大きな宝物になったと思います。
 神戸の方たちとは今もなお季節のご挨拶や便りでお互いの人生を分かち合っています。ありがたいことです。出会いというのはこういうことなのだと思うのです。

二日目

 昨日のセンター試験の中でいろいろ思うことがありました。姫の試験場で、いちいちクレームをつける受験生がいて、試験開始時間が遅れて、周りの受験生が迷惑したといっていました。机が気に入らないから数度机を取り替える、リスニングの機器がいまいち聞こえが気に入らないと数度取替え、リスニング開始が20分遅れたとのこと。確かに調整は必要ですが、個別に対応するにしても繰り返される特定の人に対しての対応であれば、その人を切り離しての対応が必要ではなかったかと思うのです。リスニングに入る前にそのいらだった抗議を聴きながら待っていたその部屋の全受験生が「切れそうになった」状況は「まずいよ」と思うのです。
 とにもかくにも、今日は数学と生物。明日はデーターリサーチ。ううんんんん・・・・いよいよです。あのタイトなスケジュールをどう乗りこなしてゆくか。今朝新聞の迷路クイズを楽しみながら、これはまるでこれからの日程、と思いました。姫様・・・がんばれ・・・と遠い目です。
 私は今日は午後SVを担当します。その後は焼肉やにでも行きましょうかね。とりあえず、とりあえず。ご苦労様です。大将が、昨夜来てちょっかいを出して行きました。じゃれている二人を見て兄と妹っていいなと思いました。緊張をほぐして帰ってゆきました。サンキュウです。