シンポジウムで

シンポジストとして何をメッセージすればよいのかをしみじみと思いました。人の生き死ににかかわることを生業として生きてきましたが、人生はそんなに思い通りになるわけでもなく、まして成功なんて誰が保証できるものでもなく。何をもって勝ち組とし、何をもって負け組とするのか。言葉だけがおろかに通り過ぎてゆきます。

私たちの国は平和憲法を今捨てようとしているのだろうか。揺さぶられてその道に駆け込むのだろうか。私は子供たちにせめて人を殺さなくても生きている道を残して死にたい。

やっと夏休みを取って

明後日のシンポジウムの原稿を書きました。今日は夏休みを取って一日PC仕事です。今朝はいきなりの警報で胃が痛くなりました。人はそれぞれの人生を生きていますが、またあの軍靴の足音がこの国に響くのかと不安でなりません。戦争を知らない時代に生まれた私ですが、親はあの大戦を体験しています。私のたった短いこの人生の間だけの平和だったのでしょうか。悲しみの聖母の記念日に心から、愚かな戦争を二度としないことを祈ります。

明後日2000年から続けている

いのちの授業をします。今その準備をしています。転職してから三か月。片道二時間の通勤も、お弁当作るのも慣れてきました。何が楽しいかというと、この13年間タブーだった化粧と、スカートが戻ってきたことです。

もっとも荷物が多いので中型のリュックを背負ってさらにスポーツタイプのナイロンのショルダーバックを肩にかけているので、山歩きスタイルで、ヒールを履いてというわけにはいかず。

ビルケンシュトックのバレーシューズを履いています。トリッペンはさすがに足が蒸れるので一日履きっぱなしというわけにもいかず。サンダルは重い荷物を背負う足元が不安定になるので。ハシュパピーの紐靴タイプのサンダルなら良いかな。とか楽しくって。スカートひらりとやってみたいのです。

結婚した時の気持ちを

覚えているのかと聞かれると、戸惑います。あの時自分は十分理解してこのことをするのだと思っていましたが、今ここにきて、あの時思っていたことが果たしてどの程度現実的だったのかと思うのです。人はそれぞれのイメージでしか物事を予測できないのですから、何の経験もなかった私たちが、いきなり結婚して、果たしてうまく生きてゆけるのかもわからないことでしたのに、よくもまあ無謀であったことかと思います。

何はともあれ、今日は親分と、姫と三人で「ターシャチューダ」の記録映画を見てきました。先日亡くなったままにどこか生き方が似ている人で、ママは離婚はしませんでしたが、ヒヨコを胸に抱えて育てたり,蒔絵をやったり絵をかいたり、畑をやったり、何となく似ているのです。まあ何はともあれ私は彼女の生き方が好きでなくなったときはとても悲しくて、いつか母が無くなったらこんな感じかなとさえ思ったことでした。

車両故障で

一時間半の遅延。高速に乗る直前で一般道から高速に入ろうとして側道との合流地点で動けなくなった
クラッチが全く効かないと電話でやり取りしているのを聞いてぞくっとした。もし高速でこの事態が起きたら事故につながるでしょうよ。と思いつつ誰も文句を言わないことにびっくり。降り際に「整備をきちんとしたほうがいいね」ときつく静かに言ったサラリーマンのおじさんが一人。皆無言。私は最後の停留所のたった一人のお客さんだった。帰り道つい「大変だったね。お気を付けてね」と言って降りた。「」ありがとうございます。」の言葉がほっとした響きだったので運転手は針の筵だったのだろうな。思わず気の毒だったなと思ってしまったの。