寒いねえ

歩道橋で佇む

 今日は、太陽が出ていると、日の当たっているところは暖かいけれど、吹く風が冷たい。震えがくるくらい冷たい風が吹く。去年は咲いたと思ったら寒の戻りで、花見の場所取りが雪の舞い散る中だったり、震えあがって嵐が来て、オシマイ。とならないと良いな。天気予報で雪の予報が出ていたりするしな。今年も夜桜を観に行こうかどうか迷っている。あの闇の中におぼろに花の咲き乱れる梢に吸い込まれてゆくような感覚が味わえるのは、ほんの一瞬なのだけれど。


 今年は、今まで以上にきっちりと気持ちを入れて暮らしたいと思って、あれこれと整理している。自分の人生の締めくくりを本気で思う。先月亡くなった友人が最後まで書斎の片づけを気にしていた。きちんと整理して、メモの一枚まで自分で処理出来たら、どんなにか気持ちは楽だったろうかと思う。体が動くうちに身の回りを軽くしておくのは、死んでゆくものの最後の仕事だと思う。何もかも、風呂敷一枚に収まることが出来たなら、どんなにか心置きなく死ねるだろうか。残されたものがその後始末で疲弊するのは、もう私のところでおしまいにしたい。親の生活の後始末で身をすり減らす、気持ちが落ち込む。何のためにこんな暮らし方をしていたのかと、理解に苦しむ。知らなかった姿に愕然とする。言わないままに耐えていたであろうことにも気が付く。そして気が付かなかった自分を、許すことが出来ないと思ったりもする。


 人は最期に自分のなきがらを、他者にゆだねなければならない。せめて、人生の残骸は最小にとどめておきたい。わからないものをわからないままにしておくと、自分の意図しない形で残されたものが傷つくこともある。私が親の死で味わった困難を子供たちには残したくない。お彼岸だから・・・・いいや私はカトリシャンなので四旬節だから。
 もうすぐ復活祭だ。命の始まりの記念日。