久々にPCを立ち上げた

二人並んで

 毎日が目まぐるしくて、自分のために一日を振り返る時間がなかなか取れない。足元を見失うような駆け足の生き方は、決して良い事ではないとわかっている。ふっとまた学ぶ生活に戻りたいなと思った。今は年齢に関係もなく、もし自分が望むならば学ぶチャンスはある。自分が一番落ち着くのは何かを学んでいるときだなあと思った。もう少し深く学んでみたい分野がはっきりしてきた。その分野で今ならまだ社会に還元できる時間はある。今が最後のチャンスかもしれないような、そんな気がしている。今はむしろ教える立場でそれも面白いのだけれど。とことん人を育てることが好きだと思う。

 自分らしく生き切りたいならば、自分のための時間を大切にすべきだとも思った。夏から秋にかけて、言葉の通い合う知人を失くした。べったりとした付き合いはしなかったが、それぞれの痛みや望みを分かち合い理解しあえる人だった。私より少し年上だったその人の生き方は、私に人としてその死をもって希望を残すものだった。


 私の生き方はどうだろうか。思うことを生きてきただろうか。ささやかであっても願うことを願うままに生きようとしてきたはずだった。過去にも同じような思いを味わってきたはずなのに、その決意はいつか緩んで来はしなかったか。現実の厳しさに紛れて意思を曲げなかったか。死はいつも突然やってくる。その時が来るとき私は自分の人生に満足できるのだろうか。

 満ち足りた時間を生きてきただろうか。死を目の前にしてもがくのは嫌だ。せめて良い人生だったと自分に優しい思いで死にたいと思う。こんな人生は嫌だったといいながら死んでゆく人の死を見守ったことがある。胸を締め付けられるような見守りだった。人生の締めくくりをいかにするのかは、今日の自分のありかたにかかっているように感じている。