かつて被虐待児だった人に

行ってきま〜す

「生きていていいですか」という題の後援会のポスターを書いてもらうことを頼んだ人がいた。私はその活動に参加していなかったので、片目でそれを見ながら不安感を持った。そして長い年月が経ち、今その人は旅立とうとしている。親しかった人に「あなたが、本国に帰るとわかった時もうあなたとは二度と会えないと思った」と言って涙ぐんだ。ぽつりぽつりと話すうちに、「ガンガンにたたかれ続けた」とかつての活動の在り様を一言で言い切った。どれほどの思いを込めたあのポスターだったのかとその時私は思った。「生きていていいですか」の一言は彼自身の人生の命題であり、幼いころからかかえていた質問であり、大人になったも絶えず自問自答していた問だったと思う。
 幸せであるか否かは、どのような人生として生きてきたのかによる。人生を肯定するも否定するも、本人の心模様に大きく影響される。もし叶うならば異なる窓からもう一度自分自身の人生を眺めることが出来たなら、あなたははっきりと生きてりゃいいこともあったよと言ったのかもしれない。はたから見れば地位も名誉も経済的にも恵まれ、よき伴侶と動物たちに囲まれて悠々と生きてきたかに見えるあなたの涙は、あまりにも痛い。生きていていいんです。たとえ誰が何と言おうと、神の手の中に生きていていいんですと私は叫びたい。