自分の誕生日

さまざまな色の雲

 一つ歳を重ねました。自分の誕生日のことをめでたいと思うか、致し方なしと思うかは人によってさまざまだろう。幼いころはうれしかった。物心ついた時は悲しかった。悲しい時代がずいぶん長かったように思う。

やっと、この頃、生きてきたことをありがたいことだったなと思えるようになった。自分の命を受け入れるまでにずいぶん長い時間が私には必要だった。愛されて生まれて、無邪気にその愛を信じて生きるだけの人生であれば、こんな葛藤はなかっただろう。私にとって人生は複雑で長い迷路のようなものだった。不安と恐怖が道連れで、一歩踏み出すことに申し訳なさを感じさせるようなためらいがあった。その道のりの中に、今の仕事があるのだと思った。
 
いつか自分が生まれた理由ではなく、自分がいたことによってささやかに誰かの生きる力を支えたと思う時が来たら、そのためにこそ、この私の命は、意味を持つのだろう。


生きることにも、生まれることにも、自分自身が納得できる意味合いや理由など自分自身でわかるはずもない。それはいつか私が去った後に、誰かの心の中を、風のように吹きすぎてゆく思いであれば、それでよい。常に命は去ってゆく時間の中にある。