二年近くの研修を終えて

ああ、秋の夕暮れ

今日認定される。今まで幾度かの研修を担当してきたけれど、今回はことさらに感慨深いものがある。直接の被災地に出向いてその土地に住む人たちを研修したのは、恐らく私たち自身にとっても得難い体験になったと思う。電車が通っていないから、バスで通った。バスの窓から、徐々に風景が変わってゆくのを見つめ続けながら、表に見えることと、人々の心に封じ込められたものを感じ取りながらの研修だった。被災地の真っただ中で、被災者が被災者の支援をするのが当たり前の中で、それでもお互いの差異はあった。
 まだここよりはましでしょう。語れない言葉を飲み込み呑み込みの日々であった。その街にいるからだけではなく、個人がそれによって何を失っていったのかは、実に個々人の問題で在り、例えその街にいたからと言って個人が失っていったものの大きさは、比べようもないものであり、語りつくすことはできないのだ。自分たちが最も困難な状況にいるのだといいたい気持ちを、このような状況で抱えるのは、むしろ傷の浅い場合に起こりやすいと、しみじみと体験した日々でもあった。
 悲しみのヒエラルキーは現実を見えにくくする。悲しみ比べができるほど外と自分を見ることが出来る状況はむしろまだましなのだと感じた。とことん悲しみや困難の中にいるとき人は命の維持だけで精一杯でほかのことには無関心になる。