違和感のまま終了した

県美の角

 毎月通って、訓練をしながらこの街の人たちの思いを感じただろうかとふと思った。お互いに伝えられないものを感じたこの日々だったと思う。私もまた被災者であるが、あの人たちは、自分たち以外の被災者感情を受け入れられないのかもしれないと感じた。被災のヒエラルキーは他者を排除すると思う。それは多分に自分自身の中にもあり、そのことで感情がざわつくこともある。人の命の境目を、第三者として立ち会うことは、やはり自分自身の人生の色合いを変えていくものだ。